AOZOLA
T・SANO
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短歌 AOZOLA
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「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」
ジョバンニが云ひました。
「僕わからない。」カンパネルラがぼんやり云ひました。
(宮沢賢治作・「銀河鉄道の夜」より)
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短歌その一
銀河ステーション
イーハトーブの地にて(1976-1981)
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1976-1978
汝と我
■汝と我のまろべる上を色づきし葉は秋風にそよぎてゐたり
なれとわれの まろべるうえを いろづきし 葉はあきかぜに そよぎていたり
意…「君とぼくは、草の上に寝ころんでいた。そうして空を見ていると、色づいた木の葉が、秋の風にそよいでいたよ」
We were lying on the grasses. When we looked up at the blue sky, maple leaves were moving gently in the autumn wind.
この歌を詠んだのは、わたしが二十代半ばを越え、作歌を始めてまもなくの頃でした。題詠という意識はありませんでしたが、でも、明確な意図によって作ったのは確かです。
当時わたしは、マルティン・ブーバーの『われとなんじ』の全訳本を読み、その「我と汝」という言葉にひかれ、この言葉(われとなれ)を歌に詠んでみたいと考えていました。同じ頃、源実朝の『金塊和歌集』なども読んでいて、平明な表現を心がけていました。そうしてできあがった歌が、この歌です。
わたしなりに工夫をしたのは、「我と汝」というもとの表現を、「汝と我」というふうに逆にしたことです。ブーバーの思想を正確に把握はできませんので、むしろわたしの考えをこの表現に込めたと、言ってよいと思います。
「汝」とともにいまわたしはあり、そして、永遠に「それ」となることのない「汝」の中にわたしたちは生きる、との思いを込めたのです。歳を重ねるほどに純粋で高い精神からは遠のき、老いた今では、若さゆえのこの純粋な一瞬を、なつかしく思います。
■ひぐらしの鳴きしきる森に汝と我語るともなくしゃがみてゐたり
ひぐらしの なきしきるもりに なれとわれ かたるともなく しゃがみていたり
■箪笥より密かに銭を引き出しし我が幼き日貧しかりけり
たんすより ひそかにぜにを ひきだしし わがおさなきひ まずしかりけり
■慰めにシューマンを聞けば更にわれは寂しき思ひして涙滲みぬ
なぐさめに シューマンをきけば さらにわれは さびしきおもいして なみだにじみぬ
■ひとりして思ひに沈む朝ドイツより輸入せしとふチョコレートを噛む
ひとりして おもいにしずむあさ ドイツより ゆにゅうせしと(い)う チョコレートをかむ
■軽くけり軽くけりしてひと時を氷のかけらに遊びてゐたり
かるくけり かるくけりして ひとときを こおりのかけらに あそびていたり
■まどろみよりさめてむかへば春の空鳥は曇りに浮きて漂ふ
まどろみより さめてむかえば はるのそら とりはくもりに うきてただよう
■雉が四羽闊歩してゐる春の昼人無き山の里の畑中
きじがしわ かっぽしている はるのひる ひとなきやまの さとのはたなか
■岩山に咲ける桜の木下道かそけき風の過ぎてゆきたり
いわやまに さけるさくらの こしたみち かそけきかぜの すぎてゆきたり
■白き杖ひきめしひ人歩みをり風にそよげる若葉の陰を
しろきつえひき めしいびと あゆみおり かぜにそよげる わかばのかげを
この歌は、土屋文明先生の思い出につながります。東京におけるアララギ夏期歌会に、ただ一度だけ参加をした時のことです。およそ三百五十名の参加者の歌評が二日にわたってつづき、その第一日目に、わたしの歌の順となりました。むろん作者名は伏せられています。
進行ルールにしたがい、第一評の担当者が、原作の「めくら人」を差別用語ではないかと指摘をしました。これを受けて壇上の先生は、「作者は言葉を知らないだけだよ。めしいと直せばよい」とこともなげにおっしゃたのです。そしてそのままじっと詠草にまなざしを落とし、しばらくの間何も言われませんでした。
しんと静まりかえったその時の会場の印象を、わたしは忘れることができません。三百五十名の中のひとりにすぎないのに、歌をとおしてわたしの心の隅々までが見透かされているような、そうしたことを思わせる文明師の数瞬の沈黙でした。
■ユリノキの並木の陰に乙女らはそぞろ語れり衣替えの日
ユリノキの なみきのかげに おとめらは そぞろかたれり ころもがえのひ
■黄の色のひときは冴ゆる樺の葉を今朝の曇りに妻と見て居り
きのいろの ひときわさゆる かばのはを けさのくもりに つまとみており
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1978-1979
春の風の中に
■夕焼けを見てゐたら泣けてしまったのと少年の吾に語りし君よ
ゆうやけを みていたらなけて しまったのと しょうねんのわれに かたりしきみよ
■二年を淡く交はりて別れけり愛を語るといふこともなく
ふたとせを あわくまじわりて わかれけり あいをかたると いうこともなく
■ウィスキーグラスに赤いカーネーション差してわたしの机に妻は置く
ウィスキー グラスにあかい カーネーション さしてわたしの つくえにつまはおく
この歌は、詠みかたという点で、記憶に残っています。口語短歌を特に意識したわけではありません。ウィスキーグラスという語に、事実に沿った言葉を連ねた結果、自ずと口語による歌の調べとなりました。
アララギ誌にこの一首が載ったとき、延々と続く文語調の作品の中で不思議に違和感がなく、それでいて少し新しい感じがし、以来口語による歌作を意識しました。でもいざ詠んでみようとするとなかなかうまくゆかず、その後結局、納得のゆく作品はほとんどできませんでした。
その時代の言葉でその時代の歌を詠む。とても大切なことであると今でも思います。
■妻が乗る飛行機空に小さきを見て居り春の風の中に吾は
つまがのる ひこうきそらに ちいさきを みておりはるの かぜのなかにわれは
■若葉そよぎポプラの梢が光りたり春の夕べの薄き日を反し
わかばそよぎ ポプラのこずえが ひかりたり はるのゆうべの うすきひをかえし
■沈む日はやがて薄らなる雲に入り霞める金の光放てり
しずむひは やがてうすらなる くもにいり かすめるきんの ひかりはなてり
■やがて日は雲に沈みて眺め見るふもとの町にもや立ち込めぬ
やがてひは くもにしずみて ながめみる ふもとのまちに もやたちこめぬ
■何故に今宵の夕げを我も妻もあへて黙して寂しく居るのか
なにゆえに こよいのゆうげを われもつまも あえてもだして さびしくいるのか
■結局は寂びしきことと思ひつつ指示の通りに仕事済ましぬ
けっきょくは さびしきことと おもいつつ しじのとおりに しごとすましぬ
■吾が部屋よりわづかに見ゆる空を見る今朝は真白き雲流れをり
わがへやより わずかにみゆる そらをみる けさはましろき くもながれおり
■砕けたる玻璃のかけらが午後の日を反してゐたり草萌ゆる野路
くだけたる はりのかけらが ごごのひを かえしていたり くさもゆるのじ
■学の無き父を蔑み貧しきを恥ぢて憎みし子なりき我は
がくのなき ちちをさげすみ まずしきを はじてにくみし こなりきわれは
■堪へて堪へて詠んでゐるのですと語り給ふ君よ名もなく生きし五十年
たえてたえて よんでいるのですと かたりたもう きみよなもなく いきしごじゅうねん
「君」という言葉を用いた歌がいくつかあります。どのように受け取られてもよい歌もありますが、誤解をされたり、理解のさまたげになる場合は、説明を加えたいと思います。
この歌の「君」とは、短歌創作におけるわたしの師です。当時すでに老齢にあられた女性歌人で、世間的には無名の方でした。深い教養に裏打ちされた短歌作品は、一見平明に見えますが、その歌いぶりは万葉歌人を思わせる大きくのびやかなものです。本来ならば、世に広く知られるべき歌人であると思います。
なおこの歌は、読売歌壇において土屋文明先生の選評をいただきました。異例とも言える文の長さでした。堪えること自体に生活の意義があり、そうした人々の生き方に対しては誠意をもって向き合いたい、とのあたたかい励ましのお言葉でした。
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1979-1981
冬の雨
■冬の雨小止みて空の冴ゆるらし遠く夜汽車の響き聞こゆる
ふゆのあめ おやみてそらの さゆるらし とおくよぎしゃの ひびききこゆる
■街灯の光の中に青白く雪の降りゐる雪積りゐる
がいとうの ひかりのなかに あおじろく ゆきのふりいる ゆきつもりいる
■ウィンドのガラスに映るわれの顔影深く頬の窪みゐるなり
ウィンドの ガラスにうつる われのかお かげふかくほほの くぼみいるなり
■暖かきバスに席取り幸せな一人の如く思ひ居眠る
あたたかき バスにせきとり しあわせな ひとりのごとく おもいいねむる
■ぼそぼそと独り言ひつつ歩む道ひとりごと多き我と気づきぬ
ぼそぼそと ひとりいいつつ あゆむみち ひとりごとおおき われときづきぬ
■ひと時をラジオに身を寄する朝の詰所ガラス戸の外は降りしきる雪
ひとときを ラジオにみをよする あさのつめしょ ガラスどのそとは ふりしきるゆき
■紫の冬の夕焼け見つめゐつ心荒みし一日過ごして
むらさきの ふゆのゆうやけ みつめいつ こころすさみし ひとひすごして
■から松の林静まり折々に雪輝きて枝よりこぼるる
からまつの はやししずまり おりおりに ゆきかがやきて えだよりこぼるる
葉陰に待てば
■笑まひつつ何かささやく妻の夢わがたまゆらのまどろみに見つ
えまいつつ なにかささやく つまのゆめ わがたまゆらの まどろみにみつ
■心はずみ茶房に語りし夜以来職場に会ふは気まづくなりぬ
こころはずみ さぼうにかたりし よるいらい しょくばにあうは きまずくなりぬ
■思ひ立ちてわがボックスを整理しぬ寂しきことのありし職場に
おもいたちて わがボックスを せいりしぬ さびしきことの ありししょくばに
■核心の事には触れず埒も無き噂話を職場に語る
かくしんの ことにはふれず らちもなき うわさばなしを しょくばにかたる
■今日もまた道に唾吐く人に会ひてこの町をいたく寂しむ我は
きょうもまた みちにつばはく ひとにあいて このまちをいたく さびしむわれは
■寂しければふと立ち寄りしシャガール展馬の眼差しはみな柔和なり
さびしければ ふとたちよりし シャガールてん うまのまなざしは みなにゅうわなり
■風に鳴る葉音聞きつつ白樺の木陰にひとり君を待ち居り
かぜになる はおとききつつ しらかばの こかげにひとり きみをまちをり
■白樺の葉陰に待てば君小さく坂の彼方をのぼり来る見ゆ
しらかばの はかげにまてば きみちさく さかのかなたを のぼりくるみゆ
黒き眼差し
■不来方の城ある町の美しく雨は堀辺の紫陽花に降る
こずかたの しろあるまちの うつくしく あめはほりべの あじさいにふる
不来方の城を知る人は、おやっ?と思うかも知れません。実際には、天守閣もなく石垣のみ残る城跡だからです。しかしこの歌を詠んだ当時のわたしの心象では、城跡ではなく確かに城だったのです。
短歌における事実と表現の扱いでは、時により、表現を優先させる場合があります。どこまで許容されるか判断の難しいところです。要はその作品において、本質的に何をあらわすかが、第一義であると考えます。
なおこの歌は、読売歌壇の田谷鋭氏選によって採りあげられました。
■夢熱く君に語りて濃き霧の立ちこむる夜を別れ来にけり
ゆめあつく きみにかたりて こききりの たちこむるよるを わかれきにけり
■熱き風かすか流るる松林ひぐらしの鳴く夕暮れを行く
あつきかぜ かすかながるる まつばやし ひぐらしのなく ゆうぐれをゆく
■喉少し渇く職場に口すすぎ厠の窓より夕焼けを見る
のどすこし かわくしょくばに くちすすぎ かわやのまどより ゆうやけをみる
■懸命になればなるほど虚しかり働く喜び無きこの職場
けんめいに なればなるほど むなしかり はたらくよろこび なきこのしょくば
■施設にて覚え来るらし少しづつ幼きわが子の言葉ふえゆく
しせつにて おぼえくるらし すこしずつ おさなきわがこの ことばふえゆく
ふるさとを逃げるがごとくに出て、妻と共に遠く東北の地で新しい生活を始めて間もなく、わたしたちはひとり娘を授かりました。数ヵ月後、娘の脳に障害があると分り、娘は頭蓋を切り開く手術を受けました。そして半身不随の身となりましたが、かろうじて命を得、おそらく数年の寿命であろうと言われる中で、半覚醒状態のまま細ほそと命を保ちました。
そんな娘が、少しずつまことに少しずつ成長し、障害を持った幼児のための施設にまで通い得るようになったことは、わたしたち夫婦のささやかな喜びでした。
■愛づるともなき日々けふは洟出たと言ひ来る吾が子の洟を拭きやる
めずるとも なきひびきょうは はなでたと いいくるわがこの はなをふきやる
■頬少し細りて風邪に臥す吾子のつぶらに黒き眼差し潤む
ほほすこし ほそりてかぜに ふすあこの つぶらにくろき まなざしうるむ
■映画なれば二百三高地にはたはたと倒れ死にゆく兵ら美し
えいがなれば にひゃくさんこうちに はたはたと たおれしにゆく へいらうつくし
この歌は、岡野弘彦氏の選を経ています。戦時に青春を送り、兵士として過酷な体験を作品に残した氏の目には、そのおよそ三十年後の若者の戦争詠は、どう映じたのでしょうか。そのことに思いが及ぶとき、さらに三十年を経た今にして、わたしはあらためて粛然とした思いにさそわれます。
■夜半の夢は嬉しかりけり朝さめてそのことごとく忘れ去りゐる
やわのゆめは うれしかりけり あささめて そのことごとく わすれさりいる
■冬の日は青き空より部屋にさし看取りて居れば眠りゆく老
ふゆのひは あおきそらより へやにさし みとりておれば ねむりゆくおい
精神科病棟の南向きの病室に、広いガラス窓をとおして冬の青空から日の光が注ぎます。食事介助をしているひとときの間のことでした。もはや見舞う人も無く、老い呆けて言葉も無く、心さえ消え失せてしまった老人。そして明るい窓には、鉄格子……。
■丘に立ち夕靄こむる町の灯を見てゐたり日の暮れ尽くすまで
おかにたち ゆうもやこむる まちのひを みていたりひの くれつくすまで
君眠る夢
■歌会にて風邪に臥しゐる君と聞きそれより四日の御命なりき
かかいにて かぜにふしいる きみときき それよりよっかの みいのちなりき
■風にさやぐ葦の葉陰に君眠る夢見つすでに君亡き暁
かぜにさやぐ あしのはかげに きみねむる ゆめみつすでに きみなきあかとき
■春日照る池辺の葦の葉の陰に肘枕して君眠る夢
はるひてる いけべのあしの はのかげに ひじまくらして きみねむるゆめ
この歌の「君」というのは、先にふれたわたしの師であった方のご主人です。社会的立場と年齢から、通例として歌会を主宰していましたが、むしろその人柄ゆえに多くの人に慕われていました。亡くなられるさい、不思議にもちょうどわたしはご本人の夢を見ていました。それも、お仕合せそうに眠っておられる夢です。南画をたしなんでおられましたが、その画境にも通ずるほのぼのとした南画を眺めている気分でした。
冬の青空
■自殺せし患者一人のありし日は疲れしのみに虚ろに過ごす
じさつせし かんじゃひとりの ありしひは つかれしのみに うつろにすごす
わたしが精神科病院に勤務した七年のまに、いく人かの入院者が自死により亡くなりました。この歌とは関わりありませんが、或る若者の自死は、とりわけ心に残っています。その二三年前、若者の将来について、偶然にもご両親と深く語り合う機会があったからです。病の癒えたあかつきにはと、初老のご両親の希望と愛情に満ちた言葉は、わたしには逆に痛々しく思われました。
その後若者は重度棟から軽度入院者のための解放棟に移ったのですが、わたしの意識から彼の面影がすっかり消えた頃、ひょっこりと重度棟に戻ってきました。以前の活発さは無くなり、毎日定時刻に大部屋の壁を前に正座し、或る宗教の唱えの言葉を、礼拝をまじえ、繰り返し繰り返しとなえていました。若者が亡くなったのは、それからまもなくのことでした。
遺体を引き取りに来られたご両親の姿も印象的でした。泣くのをこらえるご主人、お母さまは泣きながらも、頬を震わせ笑みをつくり、お世話になりましたと、わたしどもにおっしゃいました。
■分類の行き届かざる本屋なり二階の茶房にしばし憩ひぬ
ぶんるいの ゆきとどかざる ほんやなり にかいのさぼうに しばしいこいぬ
■結局は金第一のこの医師が若く貧しき我を励ます
けっきょくは かねだいいちの このいしが わかくまずしき われをはげます
■退職の決意を上司に告げし後心ゆるみて四五日過ごす
たいしょくの けついをじょうしに つげしのち こころゆるみて しごにちすごす
■故もなく心うつろな夕暮れに退職願の下書を書く
ゆえもなく こころうつろな ゆうぐれに たいしょくねがいの したがきをかく
■職退く日近づく詰所の窓辺より見て居り淡き日暮の青空
しょくのくひ ちかづくつめしょの まどべより みてをりあわき ひぐれのあおぞら
■陸橋にしばし佇み宵闇に輝く町の灯を見てゐたり
りっきょうに しばしたたずみ よいやみに かがやくまちの ひをみていたり
■長男と生まれ気弱き性なるを今宵素直にわれは諾ふ
ちょうなんと うまれきよわき さがなるを こよいすなおに われはうべなう
■青空に面を向けて盲ひなる君は雪凍る路地歩み来る
あおぞらに おもてをむけて めしいなる きみはゆきこおる ろじあゆみくる
■渦を巻き屋根より雪の舞ひ上がり風立つ冬の青空に光る
うずをまき やねよりゆきの まいあがり かぜたつふゆの あおぞらにひかる
■笑まひつつ豊かなる身を我に寄するあかとき夢の妻の美し
えまいつつ ゆたかなるみを われによする あかときゆめの つまのうつくし
■若き日の黒髪長きわが妻を熱く抱きゐる夢に驚く
わかきひの くろかみながき わがつまを あつくだきいる ゆめにおどろく
■枯草に潜みて淡き紫の小さきすみれは細々と立つ
かれくさに ひそみてあわき むらさきの ちさきすみれは ほそほそとたつ
■切口のまだ新しき木を積みし山路に松の脂の匂ひす
きりくちの まだあたらしき きをつみし やまじにまつの やにのにおいす
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