交響詩 山の週末
第一部 プロローグ
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はじめに

娘の加奈さんが、めっきり歩けなくなってしまった。家の中でも、わたしたちが手を添えなければ、ほとんど歩けない。妻は、這って、と声をかけるが、わたしはまだそんな姿は見たくない。デイ施設ではすでに車椅子を借りている。
ついこの間までは、片麻痺の身ながら、左足をひきながら歩けたのだ。そんな不自由な身体で、もう四十年近くを歩いてきた。ひょっとこひょっとこと、いつも楽しそうに歩いていた。わたしたちは、それが当たり前だと、思い込んでいた。
今から思えば、そんな加奈さんの姿がまるで夢のようだ。せん足がひどくなり、左足の指先が後ろに反ってしまい、もうほとんど床につけられない。わたしたちが松葉杖代わりに手を添え、今はなんとか歩いているが、いずれそれもできなくなるだろう。それまでの間、この日々が、ほんとうにかけがえのない日々に思えてくる。(2014.3.26)

わたしの病状も、なかなか良くならない。稀に、二三日調子の良い日が続いたと思ったら、いきなり元の状態に突き落とされてしまう。身体が思うように動かなくなってから、もう一年が過ぎようとしている。心の中で、時々溜息をついている。
吐き気はほぼなくなっている。眩暈と脱力感は減じてはいるものの、ふらつき感と異常なだるさは常にある。心臓のあおりは、ひと頃に比べれば少なくなっているように思う。むろん発作の不安は常にあるが。
日に二三時間はリハビリに費している。一日に千歩ほどしか歩けなかったのが、今は二千歩を歩いている。パソコンに向かうのは、一度に二十分くらいか。休憩をはさんでそれを二度まで。それ以上は、心臓があおり出す。
こんな調子で編集をしているので、なかなか作業が進まない。だがそれでもよい。とにかく一歩一歩前に進めばよい。まずは第一部完成を目標に、楽しみながら作業を進めよう。きらきらとした、なつかしい思い出がいっぱいだ。あの澄みきった深い青い空に、谷を渡る松風の音に、山の路べの可憐な花たちに、心の中で何度でも会える。なつかしい、わが谷山の思い出。(2014.4.1)

編集をしていて、気づいた。歌を詠みはじめてからの数年間、山を詠んだ歌が意外に少ない。かん違いをしていたようだ。山の記憶だけがわたしの心の中でかってにふくらみ、山の歌を多く詠んでいるものとばかり思い込んでいた。
だが実際は、そうではなかった。詠むことに不慣れで、折々の心情を気のおもむくままに、いろんな手法を試みたりして詠んでいた。対象を山にしぼり込んで詠むことはいまだなかったのである。他の作品と同様、日常詠の中のひとかけらとして、山の歌がある。
ならば、この数年間の作品群(2007年以前の四百首ほど)を、「交響詩 山の週末」第一部と題することが適切なのか、という指摘もできよう。が、わたし自身はむしろ、プロローグとしてはふさわしいように考えている。なぜならこれらの作品群の底に流れている心情は、まぎれもなく、山における週末の充実感・幸福感にもとづいているからである。また、詠む対象を山に絞り込むその準備期間であったとも言えよう。
いま、わたしはこれらの歌を読むとき、あたかも、山を茫漠と遠望しているかのごとき感を持つ。それで良いと思う。もう少し山に近く迫るのは、第二部に待とう。(2014.4.10)

頭の中が、重くどんよりと淀んでいる。背肩が凝り固まり、後頭部から頭頂にかけてはしびれがある。眩暈感に身も心も支配され、身体が異常にだるい。少し動くと心臓があおり、一日中、起きたり臥したりをくり返している。こんな具合になって、もう一年になる。はたして癒えるのかと、今日はふいに泣きたくなった。(2014.4.13)

第二章の「つくで村の一年」は、ブログ記事から(2006.1.2〜2007.2.9.)抜粋したものである。山の情景、高原の村の様子など、季節の移り変わりとともに簡単に紹介をしている。わたしたち家族の、山の週末のおおよその暮らしぶりが理解されると思う。
あらためて思えば、定年退職五年前の記事である。定年後の人生など、当時のわたしの意識には微塵もなかった。ましてや、こんな病む身になろうなどとは……。今、編集をしつつ、わたしの記憶の中では、山の若葉が、花たちが、水の流れが、青い空からの光に輝いている。(2014.4.28)

庭の草が伸びだした。草を刈ってみた。十五分ほどで止めてしまった。身体が異常にだるい。去年の今頃を思い出す。まだ今よりは良かった。ひどくなったのは、もう少しあとだったように思う。だるさでしだいに身体が動かなくなった。そして心臓の発作が起きた。八月七日の夜だった。
いったい良くなるのだろうか。はたしてこの夏がのりきれるだろうか。作手に行けなくなって、もう一年が過ぎようとしている。ふたたび作手の山に行ける日が、くるのだろうか。養生をし、無理をせず、そしてリハビリに励むしかない。
本日、第一部編集と推敲を終了。(2014.5.6)

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