交響詩 山の週末
第一部 プロローグ
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第一章 短歌

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2000前

■谷をわたる松風の音吾はああさえずる鳥の心となれり

松の群生する谷山を、風がさわやかに吹きのぼる。青空に松葉の緑が映え、光を返し、時にはその幹を枝をリスがすばやく走る。おおよそは赤松の谷山であり、ところどころに黒松がそびえ、尾根近くには五葉松が堂々とした枝をくねらせていた。松がそんなにも美しい樹木であるとは、それまでわたしは知らなかった。かの谷山の美しい松群落に出会うまでは。

■ささ百合の花を摘みにき黒髪の背に揺るる汝(なれ)と霧降る原に

その高原の村には、まだ結婚をしていなかった頃の妻と、一度訪れている。もう四十年も昔の話だ。わたしたちは夢中になって、両腕にかかえるほどのササユリを摘んだ。なつかしい、遠い記憶である。




2000前後

新しき年の始めに墓に来て命を思い詠みし歌うた
祖母と父の鎮まり居ます石の辺に何時しか生えし南天のあり
墓を前に思いは過去に連なりてよぎるものあり語ることなし
墓の辺に吾ら立ちつつ見渡せば目にぞやさしき枯山並みの
建ち並ぶ中に小さき墓もあり水子の像に冬の日は差す
墓を行きゆくりなく読む享年の幼きもあり若きもありぬ

佐野家の墓を親が建てたのは、父がまだ生きていた頃である。両親と山を共同で買ったそのあと、父と母の考えで、自宅から山に向かう途中の市営霊園の一区画を購入した。山と同じ方角だから、墓参りにも便利だというのが、第一の理由であった。その父も亡くなり、そしてその言葉のとおり、山からの帰りにわたしたちはちょっと墓に立ち寄ったりしている。

あかときの夢に天より降りきたるものあり淡き金色(こんじき)の霧と

文法にも木草の名にも疎きわれ無学に近く歌を楽しむ

信仰の山なりというも諾いて白き輝きを映像に見る
吐く息の凍るかすかな音をかく民は呼ぶとぞ「星のささやき」

雪の夜の晴れたる朝の椎の森日にきらめきて雪の粉舞う
日は差せど風寒くして二月なり雲は乱れて光をふふむ
身弱れば風の子なりし吾もまた火の子となりて暖にすがりぬ

春先の風邪に十日余苦しみて治まりし頃日差し春めく
春先の風邪もようやく治まりて歩む道の辺イヌノフグリ咲く
わが命養う命のさまざまをある夜は思う齢となりぬ
みつ四つふふめるもあり白梅の花ひとつ咲く梢の先に
白梅の細き梢の雨に濡れふふむ蕾らさやかに白し
三十年迷い考え至りしはいたく平凡な論に落ち着きぬ

気弱なる少年なりしが心古りほとほと意地の悪くなりたり
疲れ居てふいに涙の出でてくる心危ぶみまなこ見開く
若き日に見えざりしもの齢古りて今吾は見るあわれさまざま
ひとり酌む酒に思えり神の子とイエズス言いしもあるいはかなし
神の子と己を言いし人かなしナザレの大工ヨセフの息子(マルコ14:62より)

竹群の緑明るし深々と影を抱きてゆたかに撓う
春の野をつくし摘みゆきゆくりなくショウジョウバカマの群落に会う
麻痺の子を桜の木下にすわらしめ花見をしたりわが山谷に
雨に濡れ花の開かぬ金蘭のその花の玉を面(おも)寄せて見る
幸いはかくささやかに夜の雨地を打つ音の中に眠れり

金色の淡き光の中に居りわが山谷の夏の夕暮れ
夕暮れの時は移ろい光去り色しずまれる夏の谷山
夕闇に色しずまれる花群をわが谷山にしばし見るかも
空を飛ぶ光ありけり夜の星見むと出でたるこの谷山に
蜘蛛の糸ひとすじ光り揺れ居るを夏の午睡の窓辺より見る

現には在るはずのなき雄渾の風景の中に吾は居りにき
美しき人は夢には居らねども老いに入りつつ夢の中に遊ぶ
はかなしと夢をうつつを言うなかれ夢は楽しも楽しければよし

今こうして歌を読み返してみると、この頃までがもっともしあわせな山の週末であったように思う。その後、高原の村の開発が進むにつれ、都市部からの車が爆音を立てて往来するようになり、週末の静けさが失われ、また夏の涼しさが失われ、反して鹿・猪などの被害が増してきた。わたしたちの谷山も、あの美しかった松がいつしか枯れはじめ、自生の貴重な山野草もしだいに姿を消していったのである。

有名にもならず老いつつ過ぎ行きは穏やかにあり冬の雨降る
悲しくも激しかりにき若き日を思いつつ老いの感傷に居る

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2003

失ないし歌の心をなつかしみまた詠み始む二十年を経て
自らに関わる言葉記さむとまず書きたるは卑の一字なり

或る日戯れに、わたしの意識に連なる語句を書いてみた。自分を客観視してみようとしたのである。思いつくままに綴ってみたら、以下のとおりの言葉が浮かんできた。
卑・劣・悲・恨・怒・悔・悪・思想・宗教・哲学・論理・神話・芸術・霊性・聖霊・霊・息吹・想像・意識・潜在・心・精神・意志・集合・世界・時空・歴史・未来・現在・夢・意味・死・老・価値・空・大地・森・林・山・雲・水・海・鳥・虫・葉・そよぎ・風・花・天空・太陽・月・星・雨・雪・四季・光・夜・闇・雷・労働・社会・経済・政治・金銭・貨幣・争い・日常・平和・飢え・贅・友人・家族・師・出会い・人・わたし
今思えば、不思議に欲という文字が無い。無い筈がないのに。

嘔吐感もよおす梅雨の日心寄す夏草の間の白き花群
羽黒きイトトンボひとつよぎり消ゆ鏡に映る雨の狭庭を
為す仕事ふいに途切れて窓外にしばし目をやる雨曇りの午後
理解力ともしき頭脳もてあましたどたどとして五十年過ぐ
寝ころびて八木重吉の詩など読むつゆの雨ふる小暗き日には

地も空も暗く濁れるかの都市を丘より眺む心冷やかに
携帯にうつむき語りゆく女わが家の前の小道をひとり
論理無き民族といふ我もまたいまだ論理を組むを知らざり
つゆの雨そぼ降る今朝のものうくてジーンズに白きくつしたを履く
ああたしか酔いてはやばや眠りしが今朝は異常にわが身けだるし

高原を吹く風の声聞きいたり祖母また父の声を聞くとも
あぢさいの花の片辺に青じその葉群ゆたけし雨に濡れつつ
朴の葉をなつかしむ老ありにしを歳古りわれはなつかしむかな

鹿に猪(い)に山荒されしわが怒りやがて虚しくなりて時は過ぐ
わが山は花の山とぞ喜びし日は過去となりケモノ山となる
この坂をリンドウ峠とわれら呼び花を摘みにし日も遥かなり

わが心粗きを思う先生の歌集なつかしく手に取り読めば
有名でなくてよかったとしみじみと或るとき吾に語り給いき
岩手野と歌集にありしをなつかしむゆくりなく聞く南部牛追い歌に
去年(こぞ)辞めし人をたまさか噂して今日ゆくりなくその人に会う

斯うは言えぬ斯うは歌えぬ本を前に汗にじませて文字たどり居る
五十を越え及び難きをさとり知る知り得しのちの学びもたのし
身を起こしわたしの歌もわるくはない悪くはないと思いみるかな

ひそやかに風は木(こ)ぬれの葉を揺らししずかなるもの秋のひかりの

こずえの葉が、かすかな風に揺れている。こうして見上げていると、澄みわたる秋の光の中に、わたしの心はとけてゆく。

人恋うる心は淡くなりたれど秋のひかりに恋うるをかなしむ
なにゆえに秋のひかりの悲しかり心ひそめて人に真向う
事務服の定めなければ若きひと秋には秋の色をまとえり

リヤカーに供えの餅を三樽のせ紅白の幕めぐりに垂らす
リヤカーに餅三樽のせ幕を張り薄き紙の花めぐりに飾る
茶房にて子らの居ぬこと嘆きあい老ら祭りの打ち合せをする
他愛なき村の祭りの楽しくてこども神輿を老いし吾ら飾る

秋山に日を背なに受け老いし妻と花清かなるセンブリを摘む
とりどりの色に草々いり乱れ山路かなしき秋の花原
草の上に腰おろし語る妻と母わが谷山の青き空の下

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2004

病むかとも苦しみたりしは去年のことただそれだけの汝(な)がふるまいに
足もとの花の白きに目をとどむ幾月ぶりか心なごむは

山峡に吾ひとり居て野に生くるものどもの声天に満つるを聞く

何も無い何も無いのだ雨の夜苦しみ夢に呟いて居る
夢に見る人のやさしくほほ笑むはうつつに昨日わが受けし笑み
うつくしき人のやさしくほほ笑みて我に声かけ帰りゆきたり
夢うつつの夜の意識に雷を聞く天の怒りのとどろきのごと

愚かにもヨブの嘆きを我もなす義の人ヨブの義をかえりみず

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2005

歌一首贈りて終の賀状とす紅(べに)さやかなりさざんかの花

去年(こぞ)の夏山に蝮を殺しけりわが身の衰え呪う思いに

寝ころびて映画『旅愁』を見る午後の窓の彼方に白き月あり

きさらぎの谷の上なる青き空飛行機雲の清かに白し
清かなる飛行機雲のひとすじを妻と見て居るわが冬の谷

労働という語も死語に近づきて若き人々軽やかに生く
底辺の労働者われと気負いしも老いて思えば愚かにも似る
財もなく老ゆれば妙になつかしく小市民なる語を思い出す
何もかも嫌になったと空想の中に九人の人殺しけり
共生感無き働きの場に居りぬ寒々として老年は過ぐ

やわらかにリズムをなして春の夜を雨は降りいるわが谷に降る
わが谷をやさしく濡らし雨は降る木々の芽立ちに枯草芝に
ミツマタの花の豊かに咲ける日はただそれのみに心足らえり
ミツマタのゆたけき花も水仙のつぼみも親し春の雨降る
酔いながら成りにし歌のいく首かを覚めてつくづく読む時もあり
ああ深きよろこび家族三人して日の差す山に弁当を食う

町中に桜は咲けど生ぬくく湿る空気に心おどらず
人間も気候も狂う時代とぞ我ら語れどなすすべもなし
バイク音けたたましくもとどろかせ若きらはゆく春の行楽
春にして狂えるごとくこの里にバイクくるまの機械音とどろく
バイク音乱れに乱れ若きらが我が世の春と狂い走れり
芽吹きたる山の間をゆくバイクらの音はとどろく谺をなして
バイク音去りたる後の一瞬の静寂にいる平成春の昼

咳に頭痛と風邪に苦しむわれの顔鏡に見れば歪みてみにくし
眠られぬ一夜とならむ咳頭痛風邪に苦しむ老いの身の夜
苦しみを酒とブレンドせしごときわれの一生と今宵自嘲す
「要するに酒を控えよ」妻が友が題目のごとく言葉唱える
身の内に溜まりし毒に苦しめと摂理はわれに病を科しぬ
宗教書読み継ぎ風邪に苦しみてゴールデンウィークたちまちに過ぐ

風邪に苦しむ、とあるが、今(2014.3)ふり返れば、現在の病状がすでに現れていたのだと思う。異常な脱力感がひと月余続いた。四月から五月にかけての連休のさいには最悪で、一種の眩暈なのか、自身の身体がコントロール不能に近い感覚に陥っていた。山荘で過ごしていたのであるが、だらだらと横になっているわたしに、妻もたまたま訪れた友人もそんなわたしの事情は知らず、ただ酒飲みのだらしのない人間としてしか、見えなかったようだ。この時、わたしはひそかに、遺書を書き残した。

青葉風朴の広葉をひるがえし空を渡れば風そらに満つ
老いてなお言葉貧しく歌を詠むこころ貧しく日々の過ぎゆく
雨の降るやさしき音を聞きながらいましばらくを夢うつつにいる
たまゆらのまどろみの夢なつかしき会い得ぬ人とわが語り居り

死に顔はかような顔と思い見る鏡の中の無表情なる我(われ)

夏の午後軒端の方ゆ下り来し黒きくちなわ草むらに入る
石垣を伝うくちなわ殺さむと我は寄りゆく夏の陽の下
石垣をまつわり這えるくちなわを殺さむとして我は寄りゆく

戦争と平和と言う語の死語となるコンビニ店のようなる職場
われの身が腐りて崩れゆくごとき感覚に居る二千五年の夏
うつつには会い得ぬ人に夢で会う半世紀を経しそのおもかげに
若年性痴呆症なりし我かとぞ思えば楽し愉快なりけり

あたらしき歌を興せという声をここにも聞きぬいらだつまでに
なお暗き心のめしい吾なればひたすら青き空を恋いぬる
くきやかに果てなく晴れし青空よ心のめしい吾は仰ぎぬ
冬の雲南をさして走る午後ラジオに聞くは亡き人の唄

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