交響詩 山の週末
第一部 プロローグ
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第二章 散文

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つくで村の一年
-ブログ記事(2006.1.2〜2007.2.9.)より-

ブログが流行りだした頃、時流に遅れまいと、わたしもブログを開設した。今は少々後悔をしている。見えない読者に向かって、文が媚びているのだ。
かろうじて諾えるのは、生活記録としての意義である。修正し、なんとか読めるものを、以下に抜粋をした。なお木草のとらえ方が大雑把なのは不本意であるが、これは当時のわたしの知識レベルの低さを示すものであり、致し方なくそのままとした。また、私生活に深く立ち入った文は省くことにした。
このブログで紹介した人々の中には、すでに他界された方や、他に移り住んだ方々もいる。作手村の変遷とともに、寂しいかぎりである。(2014.4.20)


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2006.1.2 田舎暮らしに興味はありますか。

わたしは、しゃれたアウトドア派ではありません。また逆に、山深い場所での田舎暮らしの達人でもありません。わたしは、静かな森や林が好きな、定年間近のただのサラリーマンです。愛知県豊田市在住。車で一時間ほどの旧作手村(現新城市)の山荘で、妻と心身障害のあるひとり娘とともに週末を過ごしています。土地を購入し、ログハウスを建て、いわば家族で週末山荘暮らしを始めてもう15年経ちました。 
この間いろんなことがありました。推移といっていいでしょうか。わたし自身、歳をとりました。黒かった髪は白くなり、体力も衰えました。山も変わりました。1メートルほどだった桜の苗木は、空をおおうほどの大きな木に成長しました。今では、山全体がうっそうとした感じです。あたりまえですね。
でも15年前には、分からなかったのです。自分が老いることも、山の木が成長することも、計算できなかったのです。購入した当時の山は、木の多くは伐採され、また造成のため、かなりの面積で土がむき出しの山でした。わたしたち家族は、一生懸命になって苗木を植えました。はやく大きくなれと、祈るような気持ちでした。
それが今では、大きくなった木を、逆に伐採しなければならなくなったのです。体力の弱ったわたしにとり、それは辛い重労働となっています。15年間の週末山荘暮らしをとおして、さまざま学びました。失敗したとまでは思いませんが、さまざま反省させられるのも事実です。ひとことで言って、15年前は人生設計ができていなかったのです。 


2006.1.4 作手(つくで)村ってどんな村?

この正月は、とうとう作手には行きませんでした。正月に1日も行かないなんて、20年来、山を購入してからはじめてのことです。曇りやら雨やら、天気が悪かったせいもあります。でも一番の理由は、わたしが行く気分になれなかったのです。倦怠期の夫婦関係のようなものです。長く関われば、こうしたこともあるのですね。これではいけない、なんとか心を新たにしたいという願いから、ブログとホームページを開設しました。
今日は作手村について書きます。現在は新城市に合併されていますが、このブログでは、旧来通り作手(つくで)村とさせていただきます。一般的な情報としては、「作手村」で検索をすればいくらでも得られます。ここでは「平均標高550メートルの高原の村」という程度にし、ちょっとほかにはない視点で、紹介したいと思います。
ふたつあります。ひとつは人、ひとつは自然。まずは人。じつにユニークな人々がいます。人口3千人を少し上回る程度の、典型的な高齢化・過疎の村なんですが、とてもそうは見えません。静かな活気というか、文化的な香りがします。
わたしが直接出会った人を、ちょっと列挙してみます。はじめに村内の人からです。竹で耳かきを作る名人。油絵の得意な水道工事屋さん。酒をおおいに飲んで俳句を詠む粋なご老人。木工作りの専門家。ラベンダーガーデンのインテリアを担当したおじさん。
次に村外から、作手に移り住んだ人たちです。女性陶芸家。ガラス工房を運営する工芸家。マウンテンバイクの選手権者。去年大学を退官した自然地理学の専門家。おそらく日本に唯一と思われる特殊木造建築を建てている元エンジニア。手作りパン屋さん。そしてわたしも参加している、自然愛好会のみなさん。それぞれが、強い個性を持つ人たちばかりです。直接出会った人を、思いつくままあげてみました。
旧広報誌では、こうしたユニークな人々が毎月紹介されていました。じつにいろんな人がいるものだと、楽しみにしていたものです。作手村には、人々を活気づかせる独特の風土があるように感じられます。さて、自然については、次回にしましょう。


2006.1.6 どんな村?

前回、作手村に住む人々について書きました。でも、一部の人たちですね。村全体ではどうなのか、とお思いになりませんか。簡単に知る方法があります。日曜の昼、農協が経営するスーパーに行くのです。そこは村の人たちの生活に密着した、一種の広場なんですね。村全体のふんいきがおのずと出ています。人の多さではありません。なんとなく感じるふんいきです。
交わされる言葉。顔の表情。服装。作手村農協は明るいのです。お年寄りが、特に女性が生き生きとしています。それでいて、穏やかな表情です。とげとげしさがありません。
日曜の昼時です。弁当売り場に行ってみましょう。田舎にしては種類が豊富で、職員手作りのおにぎりや豚汁などがあり、しかも安い。よく流通しているということですね。村外の人がかなり買っているんです。
なんとなく、お分かりいただけるでしょうか。こうしたとらえ方は、ほかの村に関しても当てはまるのではないでしょうか。もちろん今はネットの時代ですから、「作手村 イベント」などで検索すればさらに詳しく分かります。イベントは、その村の個性を端的に表現します。
ちなみに作手では「森の音楽祭」という催しが年に5回ほどあり、身近にコンサートや合唱などを楽しむことができます。無料であったり有料であったりしますが、とにかくプロの演奏が散歩ついでの気分で楽しめます。
さて、自然についてですが、意外にも残念な事実をお伝えしなければなりません。次回をお待ちください。


2006.1.8 森林砂漠

作手村をPRする時、定番のキーワードがあります。水、湿原、歴史、そして豊かな自然です。20年作手に通い続けてすっと納得がゆくのは、水、湿原、歴史です。水は確かにおいしく、わたしの山荘のある山では、わたし自身わき水を飲んでいます。また水の良いせいで、米もおいしいのです。
湿原はかなり少なくなりましたが、もともと作手自体が湿原の村でしたので、これも納得がゆきます。つくで、という村の名の語源も、一説によれば湿原を意味する言葉がなまったものといいます。なおわたしは湿原ボランティアとして、冬場の草刈りをさせていただいています。良い学びの場です。
歴史は古く、とくに戦国時代は要衝の地であったこともあり、りっぱな武将を輩出しています。また米作りに適した風土が、長くゆたかな歴史を作りました。水、湿原、歴史はじゅうぶんにうなずけるキーワードです。
ところが最後のキーワード、豊かな自然という言葉には、なぜかあいまいな印象をわたしは抱いていました。言葉のもつ抽象性のせいばかりではありません。なにか違うなと感じながら、分からないままに10数年が過ぎました。
平野部を広々と水田が広がり、そのまわりを丘状の低い山が連綿と連なっている様は、たしかに豊かな自然を思わせます。村を広報するパンフレットにも、またネット上でさまざまに作手を紹介しているサイトでも、豊かな自然をうたいあげています。でもわたしは、なにか違和感のような感じを抱き続けていたのです。2年前に理由が分かりました。
自然愛好会の話し合いの中で、副会長のOさんがおっしゃった言葉が、すっとわたしの胸に入りました。ちょっとむっとした口調でOさんは言いました。
「自然が豊かだなんてみんな言うけれど、ちっとも豊かじゃない。ほとんどが放ったらかしの植林山で、山が死んでる。実態は、森林砂漠だよ」
森林砂漠。森林砂漠。森林砂漠。
そう、そうなんですね。山に木は生えているのですが、山が死んでいるんですね。この言葉は、ほんとうに胸にすっと入りました。作手村で山林の占める面積は、約90%。そしてその多くが放置された植林山です。わたしの山荘のある山は自然林ですが、左隣りは植林山です。手入れもされず、ひょろひょろっと背ばかり高い、黒い木の山です。下草も生えていません。材木にしようにも、もう手遅れです。投資目的で買った山なのでしょうか。少なくとも20年来、人の手が入った形跡はなく、これから先もおそらく、人の手が入ることはないでしょう。こうした山が、作手の山の多くを占めているのです。
森林砂漠。森林砂漠。森林砂漠。
厳しく断じた言葉ですが、訴える力があります。自然のほんとうの豊かさとは何かを、あらためて考えさせられました。


2006.1.14 究極の喜び

山荘における究極の喜びを、紹介します。1月8日、1ヶ月ぶりに家族三人で行ってきました。天気はうっすらと晴れ。うっすらとしたオレンジ色の日が差していました。太陽の光がある限り、わたしたちの山は、冬ならば日溜まりという感じになります。雪は多少残っていましたが、外にいても寒くはありません。
山の敷地は、南東にひらけた、谷地状をしています。そのせいで、冬は北風がさえぎられます。また道路と小さな湿原をはさんで、その南向こうはやはり山です。つまり、四方を自然林の山に囲まれているのです。約2万坪くらいのすり鉢状の底に、一軒だけぽつんと山荘があるわけです。そしてこのすり鉢状の山全体に、日の光がふり注ぐのです。日溜まりのイメージが、お分かりいただけるでしょうか。
その中に、わたしは立ちます。やわらかであたたかな、ちょっと言葉にするのがむずかしいのですが、なにかに包まれている、いだかれているような、そんな気分になります。空を仰ぎます。その空の感じが、またちょっと違うんですね。次回、お話ししまょう。
さて、究極の喜びとは、たったこれだけのことなんです。昔なら、日本の山村のどこにでもあった風景・風土。
山くらいどこにでもある。そう思う方もいるかも知れません。そうですね。都市近郊にも、山はあります。でも、……。


2006.1.17 空に心を

ふだんの生活の中で、空を意識することはあまりないように思います。理由は人さまざまでしょうが、空にメリハリが無くなったのも、ひとつの原因ではないでしょうか。
わたしが子どもだった頃、空は確かな表情を持っていました。夏の入道雲、夕立。澄んだ秋の青空。りんとした冬の青空。かすみがかった春の空。空いっぱいに広がる夕茜雲。雄大な空は、わたしたちの心に強烈なメッセージを発していました。
今の時代の空は、そうした大きく強烈で確かな存在ではありません。曇りなのか晴れなのかはっきりとしない空、そういう日が多くなったように感じられます。ともすればただ茫洋として「そら」がある、それだけのものという印象を受けます。
こうした現代の空ですが、でも時と処によっては、空を見ることで大きな感動を受ける場合があります。わたしたち家族が週末を過ごす山荘。この山荘から見る空は、町のある平野から見る空とは異なった、格別の趣があります。
さて山荘のある谷山から見る空には、雄大さはありません。谷の底から仰ぐのですから、空が広くないのです。しかし独特の表情と美しさがあります。空を見上げていると、或る大きな存在が、わたしの心になにかを語りかけてくる、そんな気さえします。
広大な空は、はるかにわたしたちを圧倒し、越えた存在です。それに比べ、谷山から見る空は、狭いだけにどこか人格的なものを感じます。
特に美しいのは、青空です。紺碧の空です。谷山から見る空が、紺碧なのです。少し山を下って、道路から見る空は、もうふつうの青空に近くなります。自然の林に囲まれているため、木々から、それぞれの木の成分を含んだ水微粒子が谷山に充満し、それがプリズムみたいな効果を出しているのではないでしょうか。谷山から青空を仰ぐとき、まるで紺碧の泉をのぞき込んでいるような、不思議な感覚にとらわれます。
空の表情も豊かです。片方の山の端から雲があらわれ、そして他の山の端へと雲が走り、消えます。そうした雲の流れが、次から次へと続きます。空というスクリーンに映し出された、あたかも雲の物語を仰ぎ見ている気分になります。
とりわけ冬の夕空は、時にはっとする美しさを見せます。寒々とした、雪でも降りそうな暗い曇り空。それでいながら、青空が雲の間にかいま見える空。やがて茜の色が空に立ちこめ始めます。北の山の端から南の空へと、灰色の濃淡を含んだ雲が刻々と流れてゆきます。それらの大きな雲の広がりに、茜の色がうっすらとまとわりつきます。ところどころに、空の青さが残っています。次第に雲の色の陰影が増し、茜の色の陰影も増し、空の青さは冷たい鋼の色となります。こうして空は、雲の動きと色の移ろいを、時の移ろいと共に豊かに見せるのです。魂の画家、マーク・ロスコの絵画を、連想させます。
冬の夕空。ある時は、雲が炎となります。めらめらと燃える炎の動きを見せて、夕茜雲が空を走ります。北の山の端から雲の群れがあらわれ、次から次へと、炎の舞を華麗に見せては、南の山の端へと消えてゆきます。
空の美しさを、家族で分かち合える幸せに、わたしは感謝しています。もちろん、広やかな空のすばらしさは、言うまでもありませんね。あるいは一見何でもない空でも、その人の心にだけは、とても感動的に迫ることもあります。時には空を見上げ、空に心を通わせましょう。


2006.1.20 便器が割れた

寒波は過ぎたようです。異常な寒さでしたね。1月8日、山荘に行きましたら、トイレを除いてあとはどこも水が出ません。部屋全体が、すっかり冷え込んでいました。机の上に置いてあったメダカの水槽も凍っていました。メダカもそのまま凍り付いていました。死んでいるだろうか、氷が解けたら生き返るだろうか、などと言いながら妻と娘とわたしとでそのメダカを見ていたら、なんとなくおかしくなり、みんなで大笑いをしてしまいました。
さて、この寒さで非常に恐れていたことがあります。それはトイレの便器が割れてはいないか、という心配でした。
実は7年くらい前に、寒さのせいで便器が割れ、一度交換をしているのです。工事をしていただいた地元のMさんによると、村では初めての経験だそうです。洋式の水洗便器の底に、ふだん水が溜まっていますね。その水が凍って便器を割ってしまったのです。その時は、こんなこともあるんだと変に感心してしまいました。
それまでにも水道管が破裂したり、蛇口のパッキンが傷んだりと、ちょくちょくMさんにはお世話になっています。今後どうしたらよいかを、相談しました。便器に関しては、寒冷地用があるらしいとのこと。でも値段が高い。相談の中で、気付かされました。保温式の便座(現ウオッシュレット)でしたが、電気代がもったいないと考え、山荘を空ける時にはスイッチを切っていたのです。つねにスイッチを入れた状態で、便座のフタをしておけば大丈夫だろうということになりました。
さらに水道管の破裂などについては、使用しない場合は、元栓を止め水抜きができるようにしていただきました。
こうして年月が過ぎました。ところが今年の寒さは予想外の寒さ。しかも急にやってきた寒さでした。豊田にいながら、心は山荘のトイレ。それなりの原因があったのです。実は電気代がもったいないと、便座の温度を低めに設定していたのです。自分の性格に腹が立ってきました。なんだか、妻に対しても腹立たしい気持ちになりました。もし割れていたら、また10数万のお金がなんの意味もなく消えるのです。
1月8日、山荘に着くなり、まずトイレに直行。……ああ、大丈夫でした。便座の設定温度を上げ、フタをしめ、ついでに古いタオルを便器にまいてやりました。夫婦仲が保たれ、ほっとしました。
これまでに、その他水道管の配置を変えていただいたり、寒さへの配慮なく建てたログのせいで、結局30数万円を、勉強代として支払いました。家を建てる時は、その土地の気候に配慮して、建てましょう。


2006.1.24 トンボの目玉と新年会

1月15日は、作手自然愛好会の新年会でした。初めての参加です。湿原ボランティアをさせていただいて、三年目。あまり遠慮をしすぎるのもどうかと思い、参加しました。妻と娘には農協で待ち合わせることにし、G先生のお宅に伺いました。
村の人々とのお付き合いには、2種類あります。ひとつは隣近所、つまり地区の方々とのお付き合い。いまひとつは、愛好会のように目的を同じくする人たちとのお付き合いです。そのどちらにも、わたしは参加しています。
10年近く、両親が村で半定住という形で住みましたので、地区の方々とのお付き合いが生じたのです。地区の草刈り作業への参加が、わたしにとっては主なものでした。父が亡くなった今、母は身体も弱まり、村に行くことはありません。それで地区の方との交流も薄くなりました。でもお付き合いは、大切にしてゆきたいなと思います。
さて昼食をはさんでの新年会は、たいへん盛況でした。人数こそ10名たらずですが、にぎやかさときたら、あぜんとするばかりです。料理は鶏の水炊き。あとは漬け物。鍋奉行の三人の女性の笑いの中で、自慢の植物写真を見せ合ったり、とにかくなんだかんだと、ほとんど専門的な話が続きました。ぽんぽんと出る花や虫の名前に、わたしなどはまったくついて行けません。なのに聞いているだけで、楽しいんです。
申し訳ないな、そう思いながら、妻娘との待ち合わせの時間である12時半に退席しました。わたし自身、まだ遠慮しているんですね。もろく薄いガラスを抱えているみたいな、そんな不安を、まだ感じているんです。
印象的な話がありました。会長のNさんの言葉です。Nさんは、40歳代の男性。会でいちばん若いから、会長なんだそうです。うまく会をまとめています。がやがやとした中で、どういう話の展開からか、女性会員のTさんが言いました。
「地球でいちばんの宝もの、なぁ〜んだ。わたし、Nさんの宝もの知ってるよ」。
がやがやとした中で、Nさんがにっと笑いました。ほかの人はほかの話に夢中。わたしは耳をかたむけました。
「当ててみましょうか。トンボでしょう。トンボ!」とTさん。Nさんは答えることなく、にんまりと笑います。そして少し間をおき、「もうちょっと正確に言えば、トンボの目玉だな」、とつぶやくように言いました。
そこでわたし。「ガラス細工に、トンボ玉ってありますよね」。
Nさんはちょんと頷き、「うん、でもほんものはもっときれいなんだなあ」、としみじみ言います。わたしは感心してしまいました。子どもだった頃、トンボの目玉をじっと見たことがあります。分かるなあ、Nさんの気持ち。
Nさんの心の目が、わたしの心の中でトンボの目玉と重なりました。Nさんは、Nさんだけの美しい世界を見ているんですね。


2006.2.21 キクイモ

今回は、ずっこけ話。キクイモの話です。キクイモと聞くだけで、わたしと同様、気持ちがずっこける方もいらっしゃるのではないでしょうか。
なぜ今回、キクイモなのか。実は最近、晩酌の肴の一品に、妻の手になる「キクイモのみそ漬け」が出ているのです。酒の好きなわたしは、「キクイモのみそ漬け」も大好きです。田舎くさい味とパリパリとした食感は、燗をした日本酒の肴にぴったりです。ひと月ほど前に、山の畑の整理をしていたさいに、収穫をしました。収穫と書きましたが、まあ、拾ったと言った方がよいでしょう。
キクイモは、以前母が植えたものです。畑の隅に少し植えたものが次第にはびこり、野菜作りをじゃまするようになりました。イモを掘り出し捨てても捨てても、翌年になると、しっかりはびこるのです。妻は目の敵にしていました。
おととしだったと思います。イノシシの被害を受けました。畑一面、まるでブルで掘り起こしたようです。あまりのひどさに、畑作りはあきらめることにしました。といって荒れ地にするわけにもいきませんので、他の雑草と共に、キクイモもすっかり取り払ったつもりでした。
それがこの冬、畑の整理をしていたさいに、キクイモが少々収穫できたのです。あれほど目の敵にしていた妻が、ほんの少しのキクイモには愛着が湧くのでしょうか。みそ漬けにでもしようかと、言ってくれたのです。
おそらく来年も、キクイモがそれなりに収穫できるでしょう。野菜作りをしなくなった今、いわば自然農法によるキクイモも、ありがたい恵みのように思います。どちらかと言えば嫌われがちなキクイモ。花だって、そこそこの風情なのですが、やはりどこか、あんな花という気分もあります。そう感じながらも、なぜだか憎めないキクイモです。


2006.2.28 作手自然愛好会

今回は、「作手自然愛好会」について、簡単に説明しましょう。
実は、現在の名称として組織化されてから、まだ1年足らずです。会費は年1千円。登録会員数は、20数名。ただし月々の活動への常時参加者は、だいたい10名前後までです。村外から作手に移り住んだ人7割、元から住んでいた人3割の構成です。会長のNさんも10年くらい前に、豊橋から作手に移り住んだ方です。この人員構成は、作手村の特徴をよくあらわしていると思います。
ひとつには、作手の自然に惹かれ、都市部から移り住んだ人が多いこと。また、それらの人々をおおらかに受け入れている村の人々の気質。そしてこれらふたつの村民グループがうまく合体し、新たな村文化を創り上げています。コンサートなどとても多彩な活動が行われていて、「作手自然愛好会」もそのひとつです。
さて、わたしが入会をしたのは2年ほど前。会の成り立ちと、ほぼ時期を同じくしています。会の前身は、自然観察の同好会と、湿原を守る会のふたつのグループでした。清岳向山湿原の木道のつけ替えをきっかけに、会則を持った組織として合体しました。
たまたまわたしは、木道のつけ替えにボランティアとして参加し、なりゆきまかせで、気がついたらいつの間にか会費を払っていたというのが実状です。
会の活動としては、主に次の2期に分かれます。ひとつは、春から秋にかけての自然観察と植生調査。冬は清岳向山湿原と鴨ケ谷湿原の草刈り作業。年間計画は、草刈り作業を終えた2月から3月にかけて作成します。
今年は、子供も含めた一般の人々を対象に、環境教育の一環として自然観察を行ったらどうか、という提案が出されています。
活動日は、日曜日。会議の場所は、G先生宅。日本植物分類学会会員で、元作手高校校長、県の自然環境保全審議会専門委員を長く務められた方です。ご高齢のため、ご自身の活動は控えておられます。ただ話し合いには、にこやかに参加してくださいますので、会議即楽しい学びの場にもなっています。
会長のNさんについて、少し触れておきます。40歳代で、もっとも若く、しかし知識は、植物・昆虫ともに相当なものです。豊橋市生まれ。日本トンボ学会会員、三河生物同好会会員、作手村史編集委員。こう書き連ねると何かいかめしい感じですが、実際はひょうひょうとした性格の、少年みたいな方です。
豊橋市を中心とした地域誌に、「トンボ舞う里山」と題して連載記事を書いておられます。その中の一節を紹介します。
<豊橋の平野部で育った私にとって、ギンヤンマとカトリヤンマ以外のヤンマは、いわば憧れの的であった。初めてオオルリボシヤンマを採集したのはやはり作手村で、高校生の時であった。今は消滅した、東田原地区のウキヨコテ湿原の中にあった小池である。手にとって見た時のあの飛び上がらんばかりの喜びは、今でもはっきりと思い出すことができる>
こうした自然への感動体験の無いわたしにとり、Nさんは、まるでファンタジーの世界に生きている人のようです。


2006.3.7 画家、M・Fさん

自然愛好会の女性メンバーの一人、M・Fさんは、画家です。バルセロナ・ビエンナーレ展や青山芸術祭に出品されています。画家として生計を立てているわけではありませんが、描いた作品は、売れているそうです。
当初は、まったく知りませんでした。見たところ、画家らしくないのです。湿原での作業ぶりは、はるかにわたしなどよりエネルギッシュ。いかにも元気そうな丸い体つきと、作業の合間に発する豪快な笑いっぷりは、まさに肝っ玉母さんの風格。わたしより若いのかな、と思っていたら、なんと幾つも年上。驚きました。
知るきっかけとなったのは、副会長のOさんの言葉。年に一度、メンバーで植物画を描いているから、いっしょに来ませんか、と誘われたのです。指導は、Mさんとのこと。えっ、Mさんが植物画を?。とても信じられませんでした。あの肝っ玉母さんが画を描く、しかも画の指導を???。
誘われるまま半信半疑で、2月12日の日曜の午後1時半、G先生のお宅におじゃましました。……結論を言えば、本当でした。いつものとおり、あっはははは、と豪快に笑うMさんではありましたが、やはり画家でした。
絵本作成をとおし、子育て教室の講師を務めてもいらっしゃいます。
そのMさんから、絵はがき二葉をいただきました。ご自身の水彩画作品を印刷したものです。「小橋のある風景」と「山里の初秋」。絵については、わたしはよく理解できませんので、説明をお願いしましたら、たいへん論理明快なお答えをいただきました。
まず一般の水彩画と異なるのは、画材に麻和紙を使用していること。そのため独特な色合いが生じるそうです。(印刷屋さん泣かせだとも、言ってみえました)
描く対象は、作手の自然風景。原則として、建築物は描かないそうです。手法は写実、もしくは心象風景としての写実。ちなみに「小橋のある風景」は、ご自宅から眺めた景色。「山里の初秋」は、ツリガネニンジンをあしらった心象風景としての写生だそうです。
使用する色は、緑や黄土食のアースカラーの濃淡を基調とします。
こうして説明をしていただくと、なんとなく絵が分かるような気がします。
最後に、「佐野さん、買ってくださる方、紹介してね」と言い、あっははははと、痛快に笑う、M・Fさんでした。


2006.3.10 有意義な日曜

3月5日、風邪が治りきっていないのに、家族三人で作手に行きました。シルバー人材センターから、山の草刈りを終えたとの連絡があったので、確認のため出かけたのです。例年のとおりの、丁寧な作業。
昼少し前、農協で買い物をしていたら、偶然、シルバーのSさんに出会いました。Sさんは、シルバーの事務方。草を刈る場所などの事前の打ち合わせは、Sさんと行います。実際に作業をしていただくのは、Tさんです。どちらも、山荘のある黒瀬地区の方なので、同じ作業をしていただいても、親近感と安心感があります。
農協の駐車場で、Sさんにお礼を言いました。単にお金を振り込むのではなく、妻共々ちゃんとお礼を言えたので、なんだか満ち足りた気分になりました。
午後からは、ヒノキを1本、丸太切り。天気がとても良かったので、3人外で作業。娘の加奈さんは、監督。薪にするための作業です。妹家族の家が、暖炉なので、次の冬にそなえての作業です。(ちなみにわたしたちの山荘は、暖炉ではありません。ふつうのファンヒーターです)
ヒノキ1本くらい、たいした燃料にはなりませんが、何も無いよりはましです。薪作りの手伝いも、できる時はします。でも体力的にもう限界ですね。年輪を数えたら、およそ40年でした。チェンソーで切るのですが、これほどの太さになると、慣れないわたしにはけっこうきつい作業です。どれくらいの太さかと言うと、根本のあたりは、ちょうどお尻の大きな女性がゆったりと腰を下ろせるくらいの太さです。けっこうきついです。
丸太を入口辺りに集めているところに、隣の……さんご夫婦が通りがかりました。そこで立ち話を小1時間ほど。ご夫婦は、岡崎市から移り住んで6年になります。ご主人が55才の時、意を決して作手に移り住みました。
奥さんもまじえ、話はなにやかやと弾みました。村外の人間同士みたいな、ある種の仲間意識を、互いに感じているのかも知れません。都市と村とにおける、人間関係のありようの違いには、相当苦労されたようです。こうした話になると、以前は言葉を濁すご夫婦でしたが、今回は具体的に語ってくれました。今期は自治会での組長をも経験され、村での人間関係に、それなりの自信を持たれたのだと思います。
今メディアでは、田舎暮らしがブームとして取り上げられています。そのことについても、「そんなに甘いものじゃない」とのご主人の言葉でした。温厚な人柄にもかかわらず、厳しい口調でおっしゃいました。まったく同感です。
田舎暮らしは、人生そのものの選択です。高いお金をかけた、何十年分もの人生の選択なのです。しかも自分ひとりだけの問題ではありません。家族みんなに関わる人生の選択なのです。いろいろと、有意義な日曜でした。


2006.3.24 早春の風景

外を歩きますと、木々の芽はふくらみ、足もとの草花が萌えだし、春の息吹がすぐそこに感じられます。アセビの花も咲き始めました。でも山荘の窓から見る風景は、いまだに枯れ色の風景です。
日の光の注ぐ枯れ色の山に、常緑樹の緑は、景色を美しく引きしめます。高木層としての、空にそびえる松。赤松群落にほんの少しの黒松が混じり、北の尾根辺りには、ゴヨウマツが幹をくねらせています。
低木層としてアセビの群落があり、細かな葉が光を返しています。そしてところどころに、ヒサカキ、イヌツゲ、ソヨゴの木が自生しています。
山のあちこちに、わたしたちが植えた常緑樹もあります。今、山荘の窓から見える順に、書き連ねてみましょう。とりわけつややかな葉といえば、ヒイラギです。硬質でとげとげのある葉に力強い生命力を感じます。
さらにモミノキ、イチイの緑。モミノキはクリスマスツリーに利用されるように、円錐形に空に向かってすっと伸びた樹形が、りんとした美しさをたたえています。道路との境にはサザンカ、キンモクセイ。
こうして見ると、ずいぶんとあります。はるか彼方では、ヤマモモが大きく葉を広げています。ジンチョウゲ、クチナシ、アオイ。敷地内のちょっとした垣根としての、ツバキの連なり、シキミの連なり。シャクナゲ、樫の木、サカキ。
そして見晴らせば、ただただ青い空の色。木々の葉の緑。枯れ山の白黄色。……疑問に感じるかも知れませんね。枯れ山の白黄色。普通なら、灰茶色でしょう。でも山荘の窓から見晴らす東山の斜面は、笹原なのです。冬場の草刈りとは、この笹原の笹を刈ることです。ですから、明るい白黄色なのです。
空の青、枯れ山の白黄色を背景に、常緑樹の緑の配色。半抽象絵画で、こんな絵、どこかで見たような気がします。
こんなふうに書いていたら、妻が朝食にと、温かなカボチャスープを用意しました。湯気の立つとろっとしたスープに、山荘の庭で摘んだ、ミツバの緑が散らしてありました。


2006.3.31 大人の遠足、春の山菜を食べよう!

ツクシを摘みに行きました。妻と娘を連れ、今年初めての、ツクシ摘みです。フキノトウ、ノビル、ノカンゾウも摘みました。毎年、この時期には恒例の、わが家の小遠足です。行く場所も決まっています。山荘から、車でゆるゆると15分ほど山を下ったところです。山あいの集落で、谷川に沿った堤がその場所です。そこでツクシを摘むようになってから、7年くらいになります。
なぜその場所かと言えば、なんと言っても、その集落の風景がとてもすぱらしいからです。ツクシの生えている堤から、ゆるやかな坂道をのぼると、ほどなく集落全体を見下ろす場所に出ます。そこからの風景が、とてもすばらしいのです。雄渾の風景、とでもいいましょうか。深い山並みに抱かれ、山の斜面を切り開いた畑や棚田が、広やかに続いています。

※春の野をツクシ摘みゆきゆくりなくショウジョウバカマの群落に逢う

足もとには、ピンクのショウジョウバカマが、あちこちに咲いています。少し離れたところには、山の水を引いて、葉わさびを栽培しています。イヌノフグリやホトケノザなどの小さな草花が、萌えはじめた緑の中に、あざやかな色合いを放っています。美しく、とても清潔感のある集落です。また、よく手入れされた棚田などからは、歴史の深みが感じられます。
小一時間ほど、ツクシを摘んだり、散策をしたりして、わたしたちは過ごしました。車には、一台も出くわしませんでした。
午後からは、ツクシのはかま取り。左半身不自由な娘ですが、器用に左手の甲を利用して、はかま取りをします。
夕食。ツクシはみんなでいただきました。酢みそ和えのフキノトウ、ノビル、ノカンゾウは、もっぱらわたしの酒の肴になりました。


2006.4.3 万葉の植物とわがなつかしむ

※万葉の植物とわがなつかしむ馬酔木の花が散りがたになりぬ(浦田整子)

春になり花が咲いたら、まず花便りを、と意気込んでいました。なのに、アセビの花の盛りは、もう過ぎてしまいました。何か、大切な落とし物をした気分です。冬から春にかけ、山荘のある山で最初に咲くのは、アセビの花です。小さな釣り鐘形の白い花を、房にして咲きます。山のあちこちに自生していて、遠目には、緑の葉群の上に雪をいただいているように見えます。この清楚な白い花房を見ると、寒さのうちにも春の訪れを感じ、ほっとさせられます。
アセビは、万葉集でも歌われています。有名なのは、次の歌でしょう。

※磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
(大伯皇女−おおくのひめみこ/岩のほとりの馬酔木の花を手折り、あなたにお見せしたいと思っても、あなたがこの世にいらっしゃるとは、誰も言ってはくださらない)

若かったせいもあるのでしょうが、わたしはずうっと、アセビの花は平凡でつまらない花だと決めつけていました。それで、この万葉の歌を読んだときも、なぜアセビなんだろうと、首をかしげるくらいでした。
でも、今は違います。20年もの間、毎冬毎冬、春に先がけて咲くアセビの花を見続け、わたしの見る目が変わったのです。アセビの花は、清楚で気品があり、控えめでありながら凛とした美しさをたたえています。万葉の歌は、愛する人(弟である大津皇子−おおつのみこ)の悲運の死を悼む女性の作。その女性が手にしようとするのは、やはりアセビの白い花房なのだと、今では納得するようになりました。
ちなみに、花にほんの少しピンクがかった木も、自生しています。なぜだか、日陰にあります。こちらは、若い男女の恋物語にふさわしいのかな、などと余計な想像をしたりしてしまいます。


2006.4.10 標高差500メートルの早春の花

名古屋・豊田は、桜が散りかけています。でも作手の山は、まだまだ早春の風景です。3月の花が散りがたになり、梅、水仙が咲き始めたばかり。標高差約500メートルの違いです。季節の移ろいを確認する意味で、花便りを書きます。
3月初旬、山では、アセビと同時期に、ショウジョウバカマの花が咲き始めます。ショウジョウバカマは、湿地に数株ほどしかありません。本来ならば、株は増えるはずです。おそらく、環境が適してはいないのでしょう。それだけに、貴重な思いがします。
地面から数センチの高さに茎が立ち、淡紅色の花を咲かせます。去年はこの花を、シカに食べられてしまいました。根本の株も荒らされた状態でしたので、もう花は咲かないのだろうかと、がっかりしました。でも、今年の花を見て、ほっとしました。
自生のものの他に、植えたものでは、ミツマタが花を咲かせます。早春の花にふさわしく、やわらかな肌の淡黄色に、あたたかみを感じます。何年か前に苗木を買って植えました。今では、背丈ほどの高さです。和紙の原料となるミツマタですが、こうして花を見ると、あの和紙独特のやわらかな感じと通じるものがあります
これら早春の花は、どれもが控えめな美しさと、ほのかなあたたかさを持っています。冬から春にかけての、この自然界の移ろいのさまは、ひとの心にもやさしい移ろいをもたらします。足もとには草花が萌え、花に誘われ、日を追うごとに、わたしたちはあらたな世界へと導かれます。

やわらかにリズムをなして春の夜を雨は降りいるわが谷に降る
わが谷をやさしく濡らし雨は降る木々の芽立ちに枯草芝に
ミツマタのゆたけき花も水仙のつぼみも親し春の雨降る


2006.4.17 咲き継ぐ花

4/17現在、盛りの花は、梅、ヒュウガミズキ、レンギョウ、水仙。これらは植えたものです。自生の木では、シロモジが盛りです。タムシバの花も今頃咲くはずですが、今年は花を付けていません。梅は、山を買った当初、まず植えた木のひとつです。いままでに5本は植えています。でも、残ったのは1本だけ。1本は盗まれ、3本は自然に枯れ、残った1本は、幹も細く、とても10数年経た木には見えません。土地、あるいは気候が適さないのでしょう。寂しい花の咲きように、いとしさを感じます。

※この朝(あした)心楽しも下に向けて二輪咲き居る梅の花びら(浦田整子)

花木のヒュウガミズキ、水仙は、山の土にそこそこ合っているのでしょう、普通に咲いています。ヒュウガミズキは、やわらかな色合いの黄色の花が細い枝全体に付いて、少し離れて見ると、そのあたりが茫洋と明るんだ感じに見えます。控えめな色でありながら、やさしくおおらかな存在感があります。
足もとに咲く水仙は、自己主張の強い花のように思います。これは、ナルシズムの語源となっているギリシャ神話の先入観が、わたしにあるせいなのかも知れません。水仙のすっきりとした美しさを、もう少しすなおに受け入れたいものです。
レンギョウはどこにでも根付き、増え、茂るほどに咲きます。ですから毎夏、かなり切り込みます。もう少し大切に扱いたいのですが、今はざっくばらんな処理で間に合わせています。
自生のシロモジの花は、童話のこびとが被る、黄色なとんがり帽子を連想します。ちいさな花の集まりの先に、シュッと角状に伸びた葉芽が目立ちます。そのほか、ソメイヨシノが七分咲き、自生の山野草では、シュンラン、イワカガミが花を付けています。また場所により、ミツバツツジが見事な花を咲かせています。


2006.4.24 足もとの草花

山荘の朝は、鳥の鳴き声で目覚めます。ウグイスの声が主で、あとは鳥についての知識がないわたしには、何の鳥の声なのか、まったく分かりません。朝の訪れを喜び合う、鳥たちの声。そんなふうに聞きながら、いましばらくの間、布団の中でわたしは浅い眠りを楽しみます。
さて、今日の花便りです。なんと言っても、今はユキヤナギです。わたしの背丈を超えるユキヤナギが、敷地内十数メートルに渡り、白い花のうねりをなしてダイナミックに咲き誇っています。
また垣根代わりに植えた紅白のツバキも、今が盛りです。でも作手の寒さのせいで、開いた花はすぐに色褪せ、人の目にはあまり美しくは見えません。そのかわり、鳥たちが時々枝に止まり、花の蜜を吸ったりしますので、ツバキはツバキなりの存在感を持っています。
桜は垂れ、八重、山桜が主なので、花の盛りはもう少し先になります。まったく咲いていない桜の種もあれば、七分、八分咲きのものもあります。ジンチョウゲ、ボケ、自生のミツバツツジは、六、七分咲きといったところです。一週間先には、花の盛りは過ぎていると思います。山野草は、イワカガミ、シュンラン、スミレ。
これからしばらくは、咲き次ぐ花に目をうばわれる季節です。それで今回は、足もとに咲くハコベに、あえて目を向けてみました。ハコベは、どこにでもある、平凡で、しかも実に目立たない草花です。白い花の径は、せいぜい二、三ミリでしょうか。
正岡子規の俳句に、「カナリヤの餌に束ねたるはこべかな」という句があります。この句のように、つい数十年前までは、飼っている小鳥の餌にハコベを摘んだりしたものです。今は、どうなのでしょう。小鳥専用のペットフードなどが売られ、ハコベを摘むことなど、無くなってしまったのではないでしょうか。だとすれば、ハコベはほんとうに目立たない花ですので、すっかり忘れられた草花になっているのかも知れません。時には心を止め、眼差しを注いでやりたいものです。以下「浦田整子歌集」より。

※いと小(ち)さき小さき幸福捧げ持つはこべの花はただ天に向き
※それだけのことと思へどたのしかりわが足もとにハコベ咲きゐる
※なに故か心豊かに今日はありはこべの花も咲き出(い)でてをり


2006.5.8 春の女王花

5月1日から7日までの1週間は、作手の山荘で過ごしました。花の咲き継ぐ、まさに黄金の日々。ネット配信できませんでしたので、遅ればせながら、1週間にわたる花の移ろいを紹介します。まずはその一。
春の女王花。今、その花が咲き誇っています。この山を買い、造成地跡にまもなく植えた木のひとつ、山桜(カスミザクラ)がそれです。高さは10メートルくらいでしょうか、根方あたりの幹まわりはわたしの胴より太く、空に向かって広がり伸びた枝々に、無数の白い花を咲かせています。この桜の花群を少し離れた位置から眺めると、ゆたかな白い花の広がりがかすかにそよいで、ちょうど空の中ほどにぼっと浮かんでいるように見えます。春の女王花と称するにふさわしい、はなやかにして気品のある、見事な花の咲きようです。
この山桜は、ただ美しいというだけの木ではありません。わたしには、深い思い入れのある木です。植えたのは、父と母でした。
20年前に山を買うまで、父と母の仲は、時には険悪な言い争いに及ぶほどのものでした。それが山を買い、木や花の苗を植えるようになると、仲の良い夫婦とまではゆかなくとも、とにかくこの山をきれいにしたいとの思いだけは、一致したようです。ふたり連れ立ち、苗木センターで苗を選び、購入し、作手の山のどこに植えるかを話し合い、そして植えます。ふたり話し合うといっても、ただぶっきらぼうに互いの考えをぶつけ合うだけのものでしたが、それでも以前の関係に比べれば、わたしにはほほえましいものに映りました。父と母がそうして植えた木のひとつが、この山桜だったのです。
当時わたしは、桜であるとは聞かされていましたが、胸の高さほどしかない貧相な苗木にあまり期待はしていませんでした。というより、苗木がやがて大きく成長するということに、思いが及ばなかったのです。理屈の上では分かっているはずなのに、実際どれだけの大きさになるのか、想像できなかったのです。
それが今では、植えたどの木よりも高く枝を広げ、空に白い花群を浮かべています。一軒の家を包み込むくらいの、見事な花群です。この山桜を眺めていると、わたしは父と母の仲を思い出します。そして、少し感傷の入り混じったしあわせな気分になります。


2006.5.12 黄金の森

花の移ろい、その二。5月初旬。ゴールデンウィークと重なるこの時期、山荘のある山は、まさに黄金の森と化します。谷にふり注ぐ日の光、若葉のやわらかな緑、咲き継ぐさまざまな花。吹きわたる風。これらがあやなす谷山の光景は、人の心を、黄金の世界へと誘います。
父母が植えた山桜の、見事な花のさかりに出会いました。そしてその山桜が、日を追うごとに、白い花びらをはろはろと散らしてゆく様に、心をひかれました。と同時に、自生の山桜が少し遅れ、山のあちこちに、白い花をあらたに咲かせてゆく様にも、また心をひかれたのでした。
1週間の時の移ろいのうちに、八重の桜が咲き、山吹が咲き、カイドウの花が咲きました。燃えさかるような紫紅色の花を乱舞させていたミツバツツジは、花の時期を終えようとし、かわりに、ヤマツツジのあざやかなオレンジのつぼみがふくらみかけてきました。ドウダンツツジの白い釣鐘型の花がおおかた散り、サラサドウダンが赤い花を付けはじめています。
ラショウモンカズラの花は、最後の装いを見せています。群生するチゴユリが、百合に似たちいさな白い花をつけています。スズランが咲き始め、アマドコロも咲き始めました。足もとではキジムシロが、あざやかな黄色の花を引き立たせています。
変わったところでは、ゴヨウアケビの花でしょう。形といい色といい、独特です。深いワインレッドの花が咲き、基部に雌花、そして房状になって雄花がつきます。
名前の分からない花もあります。父と母が植えたものですが、日本植物分類学会会員のG先生にも、分からない花です。自然愛好会代表のNさんによれば、日本の花ではないのでは、ということです。山を買ってまもなく植えたもので、高さはおよそ5メートル。細い枝のような幹が幾本も放射状に空に向かって伸び、淡い緑の葉とともに白い花が優雅に咲きます。花木の形状から、あるかないかの風にもなびいて、いっそうの風情をかもし出しています。花の咲く寸前の形にも特色があり、ちょうどキキョウの花が開くときに似て、白い袋状の形をしています。どなたか、名前を知っていたら、教えていただけないでしょうか。(のちにリキュウバイと分りました。2014記)
こんなふうに書いていたら、あらためて山荘で過ごした1週間を思い出します。家族三人、まるで別の世界に居たような、こわいくらい幸せな1週間でした。


2006.5.22 五月晴れの空に促され

連休中の輝くばかりの天気とは逆に、その後は、梅雨に入ったのかと思われるほどの日々が続きました。今日21日、2週間ぶりに、ようやく五月晴れの天候に恵まれました。
この間、わたし自身は体調を崩し、記事を書き上げる気力と体力を失っていました。今、五月晴れの空に促され、何を書いたらよいのか分からないままに、豊田の自宅で気力をふりしぼり、この文章を書いています。
とりあえず、1週間前の作手にタイムスリップします。5月15日の朝、自然地理学専門のM先生が手入れしている山に行ってきました。主にコナラの自生する、南向きの林です。数日前お宅に伺ったさい、山の峰に展望台を手作業で建てられたと聞いたのです。わたしと妻が尋ねた時は、ちょうど先生が、展望台に通じる梯子を作り終えたところでした。今後はこの展望台を始点として、アスレチックフィールドをこしらえるのだそうです。
5、60年は伐採をしていないすばらしい林です。この広い自然林の中に、先生なりの夢の世界を創り上げるのでしょう。大学を退官された先生だからこそ、子どもの心の目線に立つことができるのだと思います。また植生調査も予定されているとのこと。これも、わたしには楽しみな話です。

さて、わたしたちの山荘がある山の、花便りです。(以下5.15写真撮影)

家の東側に植えた、ウンナンオウバイ。はじめての来訪者が、まず目に止める花です。花が終わっても葉があまり茂らないので、夏のうっとうしさはありません。

アマドコロ。ひじょうに強く、笹根にも負けずに、毎年花をつけます。

ヤマツツジ。レンゲツツジほどの華やかさはありませんが、あざやかなオレンジがかった紅は、目を引きます。

坂道に咲く、サツキとホソバシャクナゲ。どちらも見事な花を咲かせます。ちなみに写真手前は、ジンチョウゲです。大きさはいずれも、わたしの背丈ほどでしょうか。

サラサドウダン。去年、花が付きすぎたので、今年はいまひとつ花に勢いがありません。このドウダンは、3メートルくらいの高さです。

貴重なキンランです。今年は4株見つけました。絶対、失いたくない花です。ピンぼけ写真になってしまいました。

ヒメハギ。小路のあちこちにさいているのが、可憐です。

この時期、ブナの若葉が、美しく輝きます。

ガマズミの涼しげな白い花にも、心惹かれます。


2006.5.26 山菜の話などめずらしくもありませんが

5月22日、作手の山荘に日帰りで行ってきました。毎年行く竹林でハチクを採り、その後「道の駅」と農協で買い物、ついでに農協で昼食を食べました。妻と娘とわたしで、ラーメン3杯。合計900円の昼食。安いですねぇ!
山荘に着いた時は、すでに小雨。ワラビを採りながら、山をひとまわりし、午後2時、早々に帰路につきました。
今回は山菜の話を書くことにします。山菜の話など珍しくもありませんが、さりとて触れないわけにはいきません。春の山菜をいただくことは、わたしたちにとり無償で恵みを受けることであり、大きな喜びであるからです。また他の方々にも多少のおすそわけができるのも、ささやかな喜びです。
この時期、もっとも一般的なのは、やはりワラビでしょう。わたしたちの山では、連休あたりから出始めます。そしてそれから、およそ3週間の間のものを食べます。この間のものが、やわらかくぬめりがあり、とてもおいしいのです。ですから、今日5月22日に採れたもので最後にするつもりです。あくの強いせいなのか、これくらいで充分に食べたという気分になるのです。
作手の「道の駅」や農協でも、ワラビなどの山菜が売られています。少量でけっこう高い値段が付いているので、わたしたちにしてみれば、この時期だけはちょっぴり自慢な気分になります。
ワラビのほかは、ゼンマイ、コゴミが少々。さらにユキノシタ、ヨモギ、スギナ、イタドリなど、天ぷらにすれば、春の野草のほとんどが食べられます。
また、時期は過ぎましたがコシアブラ、タラノメも採れます。タラノメは山菜の王様、コシアブラは山菜の女王と言われています。タラノメには、肉質を感じさせるくらいのゆたかなボリューム感があり、王様と称されるのも、頷けます。
コシアブラは、味に特有のくせがあります。このくせのある味は、酒の肴にピッタリです。夕方近く、ほどよくほぐれた若芽を摘み、手軽に酢みそ和えなどにして食べます。酒を酌みながらですと、なんとも言えない贅沢な気分になります。
5月は、幸福を実感する月です。


2006.5.29 花の宴の終わり

花の宴は終わりました。あいかわらず花は咲き継ぎ、山に彩りを添えていますが、今は落ち着きのある風情です。ただひとつ仰々しいのは、セイヨウシャクナゲです。赤い大輪の花を、3メートルくらいの高さにまでつけています。それも、今日で盛りを過ぎます。
個人的な思い入れのある花では、今、ミヤコワスレが咲いています。あちこちに散らばり咲いている中で、山荘の玄関近くに、妻がまとめ植えしたものがきわだっています。
ミヤコワスレは、妻の好きな花です。この花には、印象深い思い出があります。まだ若かった頃、結婚前の妻の部屋を尋ねた時のことでした。彼女の部屋の壁には、ムンクのデッサン風の絵画(複製)が掛けてありました。「病める少女」です。当時のわたしは、その絵を知りませんでした。それでてっきり、男友達の誰かが、彼女の肖像画を描いたものだと、勘違いをしたのです。すっかり打ちのめされた思いで、わたしは、その絵の作者ほどの値打ちは無い人間だと、告白しました。
もちろん、そのあとすぐに妻の説明があり、これについては一件落着。その時、机の上に飾ってあったのが、ミヤコワスレの花だったのです。透明なガラスコップに、数輪のミヤコワスレが挿してあり、繊細で鋭敏な美しさを漂わせていました。あれから三十余年の歳月が流れ、今、わたしの目の前に群がり咲くミヤコワスレを見ていると、ほのかなあたたかさを感じます。
さてこの他に、紫系の花として、アヤメ、シラン、セイヨウキランソウ、ヒヤシンスがあります。オダマキにテッセンは、すでに色褪せています。
白色系の花は、コデマリ、マーガレット。マーガレットは小さな群がりをつくり、あちらこちらに咲いています。そうしたマーガレットの間に、タンポポ、ニガナの類の黄色な花が散らばります。
黄色の花でややくどいのは、エニシダ。反して形がユリに似たノカンゾウのオレンジ色は、すっきりとした味わいです。
これらの花に、散りがたのツツジの種の、紅や白が混じります。
花木では、高さ3メートルほどのタニウツギが、ピンクの花を見事に咲かせています。ヤブウツギの赤い花もあります。
変わったところでは、オトコヨウゾメでしょうか。2メートルくらいの高さで、小さな白い花が、垂れるように咲いています。盛りは過ぎていますが、美しさの余韻が感じられます。この花の名を知らなかった頃は、この時期の花と、秋の紅葉を気にはしていましたが、どこかちぐはぐな気持ちで、この花に対していました。花の名を知ったのは、今年の5月1日です。夕方近く、山を尋ねてきてくれた、自然愛好会会長のNさんに知らされました。Nさんによれば、品の良さを感じる花で、特に好きな花のひとつとのこと。以来、わたしの心も勝手なもので、ちょっと自慢の花木になりました。
植えた花、自生の花、繚乱の面影を残す山です。


2006.6.2 戦闘開始!

戦闘開始! でも実は、すでに戦いは始まっています。5月15日、新たに出たススキの葉を刈る作業をした時点で、今年の戦いは始まってのです。そして今日5月29日、たった1週間のうちに、新緑の林はうっそうとした森になりました。今後約半年間、伸びる木や草との格闘が続きます。マムシやスズメバチとの戦いが続きます。
まずは28、29日の二日間、妻と共に、鹿対策に時間を費やしました。毎年6月の初旬から中旬にかけ、決まって山に鹿があらわれ、リンドウやキキョウやササユリの花芽を食べてしまうのです。
鹿が出るようになる以前は、山道のあちこちにリンドウがいっぱい咲いて、それだけでも喜びに心踊りがしたものです。ところが鹿が花芽を食べるようになってからは、時期が遅れて芽が出た貧相な花しか見られなくなってしまったのです。株数の少ないキキョウやササユリは、全滅状態。
それで今年は、試しに所々囲いをしようと、決心したのです。囲いといっても、本格的なものではありません。木杭にネットとテープを使用した、間に合わせ程度のものです。それを5ヶ所に作りました。特に群生している場所を選び、とりあえず、今年はこれで様子を見ることにしました。
杭を打ったりの作業の間、娘は近くに腰を掛け、監督さん。どうにも貧弱な囲いに、妻もわたしも、みんな笑いながらの作業です。ずいぶんと無駄なことをしているんだなぁと、つくづく思いました。それでも、とにかくやってみなければと、また互いに励まし、励まされたりの、作業でした。6月の半ばには、結論が出るでしょう。
また、今年始めてヘビを殺しました。まだ小さなヘビで、マムシではありません。迷いました。結局、大きく成長したのを殺すのも厄介だと思い、殺しました。以前は、殺しなどはしませんでした。マムシが出るようになってからです。マムシもヘビも、これ以上繁殖されるのは、嫌なのです。
もちろん、見つけたヘビを殺したところで、彼らの繁殖力にはかないません。ほんとうは、自然の成り行きにまかせるべきなのかも知れません。
こうした点、Nさんは達人です。ひと月ほど前、いっしょに山を歩きながらマムシが出る話をしたら、ぼくなんか1日に最高4回、秋のマムシを跨いで歩きましたよ、と笑います。少々殺したところで同じです、と事も無げに言い、そして、まぁ大丈夫ですよ、と言ってくれました。Nさんにそう言われると、なんとなく大丈夫なのかなぁ、という気がするから不思議です。でもやっぱり、自然とつき合うという意味でわたしは未熟者。マムシとは今後も対決姿勢で臨みます。


2006.6.5 花から小さな生き物たちへ

山は、うっそうとした森になりました。咲き継ぐ花には、落ち着きが感じられます。入口近くにはひとむらのキショウブが咲き、道のあちらこちらには、白いマーガレットが散らばり咲いています。マーガレットが膝の高さほどに点々と咲いている様は、五線譜に踊る音符を連想します。気持ちが高揚している時など、無音の楽曲を聴く思いがします。
ところでこの記事は、今咲いている花を話題にしていますが、わたしの思いは、実は、目の前に咲く花だけを見ているのではありません。今日は、小さな蕾をつけたササユリを見つけました。ほっと胸をなで下ろします。絶えてしまうのではないかと、毎年心配をしているのです。蕾をつけたササユリがいくつあるのか、山の路の陰を探して歩きました。
また、今年咲かない花を思い、来年は咲いてくれるのだろうかと、1年を越える時の流れの中で、花に心を寄せます。エゴノキ、シャラ、ヒメシャラ。これらは、今年花をつけません。エゴノキの花に会えないのは、少々寂しい気がします。来年の花を、楽しみに待ちましょう。
さて咲き継ぐ花に心をうばわれているうちに、いつの間にか、山は小さな生き物たちでいっぱいになりました。もっともこちらの方は、人間にとり、花ほどに目立つ存在ではありません。小さな生き物であることや、彼らの生きる世界が主に葉陰や草陰であることで、人の目には触れにくいのです。それにわたし自身、昆虫などに特に興味があるわけではないので、ずいぶんとおおざっぱな見方しかできないのが、実状です。
今日は、山の主役が花から生き物たちに変わりつつあるのを、実感しました。先週までは、まだまだ小さな生き物たち、という印象でした。それが今日見たカエルにしても、ヘビにしても、もう一人前という感じです。スズメバチも、けっこう大きなのが飛んでいます。鳥たちにしても、見かける機会は少ないのですが、そのさまざまな鳴き声で種類の多さを実感します。遠くの田んぼからは、カエルの合唱が時に聞こえてきます。
マーガレットやクローバーの花には、羽虫やハチ、蝶や蛾の類が群がっています。うっそうとした森に、小さな生き物たちの、命の営みが谺しています。

※山峡に我ひとり居て野に生くるものどもの声天に満つるを聞く


2006.6.12 ハチ・虫・マムシから身を守る

村外からやってきた人が車を止めて、田の畦や山道の端で、山菜を採っているのをよく見かけます。服装を見ると、町からやってきたそのままの服装です。なんの頓着も無く採っている様子は、ずいぶんと危なげに見えます。手元・足もとにマムシがひそんでいるかも知れません。日本では、年間3千人くらいが噛まれるそうです。被害の多くが、知らずに手を伸ばしたり、腰を下ろしたところを、瞬間的に噛まれるのだそうです。
また、村にやってくるたいていの女性が化粧をしていますが、スズメバチには要注意です。香水・整髪料などの甘酸っぱい香りに、敏感に反応します。黒っぽい服装や色の濃い服装、さらに黒い頭髪にも反応します。
交通事故と同じで、被害に会うまでは自分の問題としては考えにくいと思いますが、あり得ない話ではありません。
わたしたちの山では、マムシもスズメバチも確実にいます。わたし自身、山を買い、10年間くらいは全く無頓着でした。ふつうのヘビに、腰を抜かしていた程度です。ですから、誰も被害に会わなかったのが、不思議なくらいです。知らぬが仏で、共存共栄をしていたのです。逆に言えば、彼ら自身は、それほど攻撃的ではないということでしょう。しかし彼らの怖さを知った今では、かなり防衛策に努めています。今回は、草刈りなどの作業に追われる季節、山におけるわたしの服装について書いておきます。
この服装は、スズメバチ対策でもあり、ヘビ・マムシ対策でもあり、虫除け対策、イバラのトゲ対策にもなる、とても合理的な服装です。
とは言っても、結論を言えば、農作業用の服装とほぼ同じです。まず、深めの長靴を履きます。靴下は、綿の五本指のものを内にはき、さらに1足ふつうの靴下を重ねてはきます。草刈りなどの作業は、足にもかなりの汗をかくからです。
スボンはジーパンもしくは作業用のズボンで、内にはステテコをはきます。上着は、白っぽい長袖。厚手のものを着用し、できるだけ肌を出さないようにします。頭にかぶるのは、つばの広い麦わら帽子。暑い日には、白いタオルを首に巻きます。
だいたいがこんな感じで、妻も同様の格好です。しゃれっ気のまったくない、実用本位の服装であり、本人はいたって満足しています。
ちなみにわが家では、化粧・香水・整髪料の類は誰も一切使用していません。手袋は、軍手を使用します。すべり止めのボツの付いたものです。場合によっては、作業用の革手袋を着用します。作業用の革手袋は、むしろ妻がよく着用します。というのは、鎌で草を刈るのは、妻の方が多く、そのさいにイバラのトゲ対策になるからです。むろんマムシ対策を兼ねています。
ちょっと余談になりますが、冬の湿原の草刈り作業では、わたしは溶接用の革手袋を着用します。刈り払ったイバラの束を抱え、湿原の外に運び出すのに欠かせないからです。


2006.6.16 朴葉寿司

豊田の自宅前に、ホウノキがあります。以下の文は、自宅でのこと。

「朴の葉を、分けていただけませんか」
霧雨の中を、そう言って尋ねて来た方がありました。面識はありません。実はもうひと組、去年から、朴の葉を採るために来訪される方がいます。同じ目的かな、と直感し、
「ああ、朴葉寿司ですね」。
そう応じると、案の定、「そうなんです」とはずんだ声が返ってきました。年配の女性と、その横には娘さんらしき若い女性。世話をしている入所施設のお年寄りに、食べさせたいとのことです。お年寄りの中に郡上八幡出身の方がいて、この季節、口癖のように、故郷で親しみ食べた朴葉寿司のなつかしさをおっしゃるそうです。
なんだかわたしまでうれしくなり、妻も呼び、朴の葉を採りました。
「それらしく、簡単にこしらえるだけなんですよ」。
素っ気ない言い方ですが、とてもいい笑顔のご婦人でした。施設のお年寄りたちも、手作りの朴葉寿司に、きっと大喜びされるにちがいありません。
あらためて朴の葉を見ると、素朴でありながら美しく、その大きさには、贅さえ感じられます。朴葉寿司。いつか、わたし自身の手でこしらえ、みなにふるまってみたいものだと、夢のように思います。

※しあわせを心に持てる人ならむ朴の広葉に霧雨は降る

(その後まもなく、河川工事のために、ホウノキは伐採しました。2014.4.29記)


2006.6.19 おお、蛇だあ

6月17日、その一。
「おお、蛇だあ」。
昼前山荘に着き、妻が閉めきっていた窓を開けたとたん、叫びました。入口に居たわたしは反射的に、「どこだ、殺すか」と口走ります。
しかし、蛇にはめっぽう強い妻です。悠然としたもので、窓の下に、太くてすっごおい長い蛇がいると言います。
「屋敷蛇だな、しっ、あっちへ行け」などと言いながら、見下ろしています。わたしは蛇なんかはあまり見たくないので、入口に立って様子を見ていました。
「なかなか、動かないなあ。しっしっ、……。おお下りていった。下りていった。石垣の中に入っていった。あれはきっと、屋敷蛇だな。あっははははは」。
妻の笑い声に、わたしもひと安心。今夜泊まるための荷物をとりに、車へと向かいました。今日は「蛇との遭遇」で、一日が始まりました。
昼は、妻、娘と一緒に軽いパン食。スープには菜園から採ってきたミツバを浮かべ、サラダ代わりに、やはり菜園からの玉ねぎをスライス。
一時間ほど昼寝をしました。その後いつものように、娘を部屋に残し、妻と共に山をめぐりました。まずはシカ対策の成果。例年でしたら、6月の一週目か二週目には被害に会っていたのが、今年はまだです。はたして簡易柵の成果があったのでしょうか。さらに様子見の状態が続きます。
スズメバチ対策もそれなりの成果がありました。二週間前に、誘因液を入れたペットボトルを二本、木に吊しておいたのです。全部で二十匹ほどのスズメバチを捕獲。蛾や昆虫も入っていました。溺死したそれらの上に、三四匹のたぶんオオスズメバチだと思いますが、まだ生きてばたばたしていました。大きさにはびっくりします。わたしの小指一本くらいありそうな、大きな奴です。見るだけで、おっそろしい。山をひとまわりした後に処理をし、新たに誘因液を入れたペットボトルを、木に吊しておきました。
次に来るときが、また楽しみです。


2006.6.23 締めくくりはマムシ

6月17日、その二。
山に来るときには必ず、妻と山をひと歩きします。少々の雨でも、傘を差しながらめぐりす。どんな花が今咲いているのか、どんな植物が新たに発見できるか。木の茂り、草の茂りがどんなになっているか。いいことも悪いこともひっくるめて、そのつど新たな思いがわきます。二十年経ても、次から次へと新たな思いがわいてきます。
さて、今日の山めぐりの締めくくりは、マムシでした。わたしひとりで、もう一度、シカ対策用の網に近づいた時、マムシが足もと近くを動きました。瞬間、杖代わりのこん棒をふり下ろしました。身をくねらすマムシにさらに打撃を加えましたが、残念ながら逃がしてしまいました。殺しきるというのは、なかなかむずかしいものです。
午後3時くらいから雨になりました。雨は、心が落ち着きます。早めに風呂に入りました。雨を見ながら、雨音を聞きながら、浴そうに身をひたらせました。夕食の酒も、やはり雨を見ながら、雨音を聞きながら、味わい深く呑みました。

※ゆたかなる植生の山夕闇の雨は諸葉(もろは)をやさしく打てり

最後に、簡単な花便りです。(以下6.17写真撮影)

ドクダミ。どこにでも生えてくると、妻は嫌います。花の形も単調です。でもなぜか、わたしには、なつかしく思われます。子どもだった頃、ドクダミの葉を揉んで、切り傷に付けたりしていました。

コアジサイ。山の花としては平凡で、しかも目立ちません。けれど繊細な花の美しさが、わたしは好きです。淡い紫の霞がかかったように咲きます。

イボタノキ。いかにもやぼったい名前です。花も、お世辞にもきれいとは言えません。でもこんな花でも、甲虫の類が、いっぱい群がって蜜を吸っていました。

ウツギ。町中でもよく見かけられる、この季節定番の花です。

イチヤクソウ。名前のとおり、薬草として使用されます。清楚でかわいらしい花です。

ヒメシャラ。今年は咲かないかと思いましたが、咲きました。葉に隠れて花はあまり目立ちません。

ササユリ。山を購入したときには、群落をなしていたほどですが、今は数えるほどしかありません。絶えてしまわないよう、必死の思いで祈っています。


2006.6.26 不思議なササユリ

20年間、ササユリの花を見続けてきました。にもかかわらず、いまだにササユリの生態が分かりません。美しさを神秘のベールで包んでいるかのようです。日本固有のユリであり、今では貴重種となっていて、大切にしたいとの思いは、わたしも含め多くの人々に共通しています。
ササユリには、その立ち姿、花ともに微妙で繊細な美しさがあります。園芸種を含め一般のユリは、どちらかと言えば自己主張の強い豪奢なふんいきを漂わせますが、ササユリにはそうした感じはありません。茎も葉も花も細めな感じで、それでいてとても存在感の強い花です。匂い立つほどに美しい、乙女を連想させます。
甘い独特な芳香がありますが、この香りは広い野にあってこそ、生きるものだと思います。家の中などでは、むせかえるほどの匂いになります。妻の言葉によれば、くらくらとして倒れそうな匂い、なんだそうです。わたしも同感です。家の中で飾るなら、ひと花かふた花までだと思います。
このササユリ、山を買って数年は群落をなしていました。何も知らないわたしたちは、ただただ喜んでいました。それがいつの間にか少なくなり、今年は6株しか見つけられませんでした。笹の葉を刈ったりして、自然に増えることを願ってきましたが、どうしても数株以上には増えません。
不思議なのは、花の咲く場所が毎年変わることです。ある年、ある場所で花が咲いたとします。はじめのうちは、こんな所にも花が咲くようになったと、喜んでいました。少しずつでも、増えてきたのだと喜びました。それが、次の年にはもうありません。こんなことを繰り返しているのですが、全体の数は、いつの年も、5株前後です。まるで花が年ごとに移動をしながら、咲いているようです。
もうひとつ不思議なのは、神出鬼没の感があることです。花の咲く前から、わたしと妻は目を皿のようにして、どこにササユリが出たかを見ます。蕾を付けているもの、いないものを探し、とにかくササユリの株がいくつあるかを見ます。ところが花の咲く時になると、蕾を付けていないものが、いつの間にか茎ごと無くなっているのです。かと思えば、先週まで確かにこんな所には無かったと思うような場所に、見事な花をいきなり咲かせたりしています。
とにかく、わたしにとり、ササユリは謎の花です。


2006.7.3 梅雨空とどんよりとしたわたしの頭

7月1日土曜日は、雨模様にもかかわらず、日帰りで作手の山に行ってきました。今年1年は、とにかく記録メモを残しておきたいからです。
シカはまだ、あらわれていません。リンドウ、ホトトギスの花芽も大丈夫です。彼らの出没は、年をまたいで実に定期的なので、その時期が過ぎた今年は、簡易柵の効果が出たのだと思います。もちろん、この先いつあらわれるのかは、まだ分かりません。
スズメバチが、吊しておいた2本のペットボトルの中で、溺死していました。合計2、30匹くらいでしょうか。かなり大きなハチが捕獲されるのは、トラップ(ペットボトル利用の捕集用の罠)を用意するのが、遅かったのかも知れません。最初に用意したのが、6月初旬でしたので、来年は連休あたりから、用意するつもりです。時々、木々の間を飛ぶスズメバチを見ました。攻撃的な様子はなく、わたしたち人間の存在など、頓着しないという感じです。
芝草の上で、新たにトラップを用意していたら、小さなクワガタを見つけました。誘因液を空けた鍋の底に入れてやると、わずかに残っていた液をちょろちょろと旨そうになめます。何年か前には、トラップの中にカブトムシが入っていました。誘因液の甘酸っぱい味が、彼らも好きなんでしょう。
今年は、蝶やトンボをあまり見かけません。以前は、どちらもけっこう大型のものを見かけました。トンボが少なくなったのは、山の中腹にある小池をさらえたのが、原因です。人間の見た目で、小池をきれいにしようと思ったのがまちがいでした。彼らの生育する環境をこわしてしまいました。自然愛好会のOさんから、ヤゴが育つ池だと教えられていたのに……。わたしの浅慮のせいです。
梅雨のどんよりとした空と同じに、わたしの頭もどんよりとしています。プレハブの物置にいた蛇も、石垣でとぐろを巻いていた蛇も、どんよりとした動きでわたしの視界から消えていきました。

今日の花便り。

アジサイ。大きくなりすぎて、増えすぎて、今年の冬は植え替えを考えなければなりません。逆にミヤギノハギは、やや貧相。近くの木に負けています。やはりこの冬、植え替えをするつもりです。
ウツボグサが、あちこちに小さな群れを作っています。淡い紫色の花が、涼やかに咲いています。特筆すべきは、カキラン。湿原植物として、20年ぶりに復活し、生えてきました。
シャラ。咲かないと思っていたのに、咲いています。このシャラの木は、ヒメシャラと同様に、花よりも葉の茂りが勝っています。山からの自然な、有機肥料過多のためでしょう。今のところ、対策無しです。


2006.7.8 ミニサーキット場の騒音問題

ミニサーキット場の騒音問題について、新城市にメールで苦情を送信しました。参考までに、その結果を、今回紹介します。
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5月8日送信
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はじめまして。豊田市在住の佐野といいます。サーキット場の騒音問題について、伺います。新城市作手……に山荘を建て、週末利用をして15年ほどになります。昨日まで1週間、連休を山荘で過ごしました。静かな環境で過ごすつもりでしたが、サーキット場の騒音が、連日、終日響き渡り、たいへん辛い思いをしました。
騒音の発生がいつからなのかは、はっきりとした記憶はありません。気のせいか、年々ひどくなっている気がします。このままでは、山荘で過ごす意味すら、なくなりつつあります。音は、否応なく、人の耳に入ります。やむを得ない音ならばともかく、モータースポーツという趣味から発生する轟音で、従来、その土地を利用していた者の生活環境が崩されるのは、納得できません。あれだけの音に、地元住民からの苦情はないのでしょうか。騒音規制など、業者に対する行政指導を望みます。
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5月10日受信
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こんにちは、……課です。佐野様からメールをいただきました作手地区サーキットの騒音について、現地確認をおこないまして、後日連絡させていただきますのでもうしばらくお待ちください。
新城市役所……課……
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6月12日受信
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●メールを頂いた騒音問題について(回答)
平成18年5月8日にメールを頂いた新城市作手地内の田原地区にあるサーキット場の騒音問題について大変ご返事が遅くなり申し訳ありませんでしたが、回答させていただきます。騒音規制につきましては、騒音規制法と愛知県条例(県民の生活環境の保全等に関する条例)で規制区域、規制対象施設、規制対象建設作業が指定されていますが、新城市作手地区田原地内のサーキット場については騒音規制法、県条例のいずれの規制対象にならない地域、施設になります。
なお、参考までに平成15年にサーキット場の敷地境界の3箇所で騒音調査したところ、国が「その他の地域」の規制基準として定めている60dB(昼間8時〜19時)を下回る(A地点46.1dB、B地点52.2dB、C地点47.2dB)数値でした。
また、サーキット場から一番近いと思われる住居で乳牛を飼育している方は、サーキット場の騒音が原因で乳量が減ったこともなく、慣れたこともあるのか日常生活に特に支障があるといったことはないとのことでした。
現在のところ新城市役所には住民からのサーキット場の騒音に関する苦情は入っていませんし、愛知県新城警察署生活安全課、愛知県新城設楽事務所環境保全課にもサーキット場の騒音に関する苦情の連絡はないとのことでした。
現時点ではサーキット場が騒音規制区域外にあるため法的な規制はできませんが、地域の方から騒音に関する苦情の申し出がある旨をサーキット場に連絡し地域の方たちへの配慮をお願いしていくとともに、違法な改造をしている車が出入りする場合は、新城警察署に依頼し取締りをしてもらうよう対応をしていきたいと考えています。
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6月18日送信
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対処、ありがとうございました。連休のその後、どういうわけか、気にならない程度の音になりました。なお、住民からの苦情が無いという点は、意外でした。地元での評判は全体に良くないという印象でしたので。ただ、近くの乳牛飼育の方は、あまり頓着していないように、わたしも感じました。
とりあえず、行政が関わってくださることが、肝要だと思います。今後とも、よろしくお願いします。まずは、お礼まで。
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これ以上、この騒音問題については触れませんが、近隣の家にとっては、深刻な問題を孕んでいることは事実です。


2006.7.10 自然の息吹に心を傾け

今週はとうとう、作手には行かずじまいでした。今年1年はとにかく、週末ごとの記録を残そうと思っていましたのに、負けたという感じです。
実は、コンスタントに山に通い続けるのは、たいへんむずかしいのです。仮に、月に4度の週末があったとして、そのうち山に行くのは、例年ならば2度からせいぜい3度といったところです。しかも泊まりではなく、日帰りの場合も、けっこうあります。
理由は、第一に天候です。雨ならば行きませんし、曇り具合によっても左右されます。次に、わたしたちの体調があります。とくにわたしの場合は、仕事の関係上、慢性疲労に陥っている状態にあります。これらに加えその他の理由、例えば、現在住んでいる自治区の行事への参加などが重なり、結局は行かずじまいになることがたびたびあります。
こうした状態の中で、山に行き、山を管理するのは、かなりハードな労働になります。もっとも、この労働を楽しんでいるのも、確かです。自然の息吹に心を傾け、自然と共に育んでいる何かが、そこにあるからです。


2006.7.14 水の話その一、山の水

山の入口の向かって右側に、水の流れがあります。竹の樋を伝い、U字溝に流れ落ちます。そしてすぐに枡に落ちて、そこからは舗装路の下をくぐり、山の向かいの小湿原へとしみ込んでゆきます。
水量は、水道の蛇口から出る量を、少し多くしたくらいです。天候による変化はありますが、水の流れが絶えることはほとんどありません。わたしたちの山から染み出た水なので、山の保水力の程度を象徴しています。
今後回を追い、少しずつ、水の話をしてゆきます。


2006.7.24 3週間ぶりの山

このところ、雨や曇りの天気が続いています。週間予報によれば、こうした天気はまだまだ続きそうです。もう夏休みに入ったというのに、いったいいつまで続く梅雨なんでしょうか。7月の22日、土曜日はひさしぶりの晴れでした。しかもたった1日だけの晴れ。日曜日には、もう雨混じりの天候となりました。この貴重な晴れの日、ひさしぶりに、家族三人で作手へと出かけました。実に、3週間ぶりの山行きです。
草の伸びがすごいだろうな、と想像していたのですが、思いのほか、すっきりとしていました。前回、入口から家まわりにかけて草を刈っていたので、とくに奥に入らなければ苦にならない程度の伸びでした。実際、丁寧に刈り込まれた庭や路は、それだけできれいなものです。グランドカバーの緑が、とても若々しく見えるのです。草刈りは、美を保つための基本だと思います。
さっそく山をひとめぐりして、咲いている花を確認しました。目立ったのは、ネジバナ。街中の空き地などにも見られる、平凡な花です。平凡すぎて見過ごしがちですが、この花の可憐さは、もっと評価されて良いのではないでしょうか。ピンクの小花が、茎の周りを螺旋状に咲きます。明るく鮮やかなピンクの色です。
その他、自生のものではヤブカンゾウ。ギボウシ。植えたものでは、アジサイが少し色褪せ、シモツケが咲き始めています。特筆すべきは、トウキです。小群落をなしているのですが、なんと十数年を経て今年やっと、ひと株が花をつけました。驚きでした。妻と共に、しげしげと眺めました。
午後の1時半から5時まで、妻と共に、山に接する舗装路の両端の草刈りをしました。150メートル位の距離でしょうから、延べ300メートルにわたる草刈りです。3時から30分間は、加奈さんも交えてお茶休憩。2台の草刈り機を使用し、熊手で刈草をかたづけ終えるのに、結局、ひとり換算でほぼ6時間を費やしたことになります。
実は毎年、7月の末あたり、村の人々がこの道路の草を刈ります。母が作手の住民だった頃は、わたしも住民のひとりとして、一緒に草刈りをしていました。今はそうではありませんので、せめて道路の一部を、わたしたち自身の手で、草を刈るようにしたのです。
5時半からは、夕飯の支度。ヒグラシの大合唱の中、庭に出て、炭を熾しました。炭を熾すのも、けっこう真剣になります。いかに少ない新聞紙と木で、いかに短い時間で火を熾すかです。達人とまではいきませんが、わたしは、まあまあの腕前です。
メーンは焼きナス。ほかにシシトウ少々と、ウナギの肝(土用の丑)を焼きました。最後は、鍋に水を入れ、トウモロコシをゆでました。妻が用意したその他の菜と合わせ、夕飯。黄昏れてゆく山の風景を見ながらの、家族三人での夕飯です。もちろん食卓の上には、冷えたビールと、そして日本酒があることは、言うまでもありません。


2006.7.28 水の話その二、水のみち

山における水の、おおよその流れを説明します。南向きにひらけた谷地状になった山ですので、単純な言い方をすれば、北側中央の峰近くから、多少の蛇行を交えながらもほぼ一直線上に、入口の流れへと下っています。
笹や草が流れを覆っていますので、ふつうの川や沢を見るようなわけにはいきません。見栄えを良くする工夫をすれば、それなりの庭園らしさが演出できるのですが、金銭的にも体力的にも、現在そうした余裕はありません。
小さな池が、二箇所にあります。ひとつは、入口から50メートルくらいのぼったところで、泥溜まりとなっている池です。この池は、底なし沼です。もちろん底がないのではありません。そう思われるくらい深い泥沼という意味です。ですから見た感じは、気味が悪い印象です。でも、自然愛好会会長のNさんによれば、奇妙な生き物がいないか、「おもしろそうな」池なんだそうです。
もうひとつは、さらに50メートルくらいのぼったところにあります。この池は、岩盤をユンボで削ってこしらえたものです。そして、岩盤の側面をちょろちょろと水が伝い、池に溜まります。いわば、源泉ともいうべき場所です。
この池の水が絶えたことは、過去一度もありません。記録的な渇水の年には、底なし沼も入口際もともに水の流れは絶えましたが、この岩盤を伝う水だけは細ほそとした流れを保っていました。
水の流れを整理してみます。源泉の池から、サワギキョウの咲く湿地へと水が流れ、真ん中の底なし沼に注ぎます。そこから、木草に覆われた水みちを伝って、入口際へとつながります。この100メートルほどの水みちの間に、山が保っていた水が少しずつ浸みだし、水量を増やしてゆきます。そうして入口際に来る頃には、そこそこに豊かな水量となって、枡に注ぐのです。


2006.7.31 ヤマモモから野菜が

猛烈な勢いで草が伸びています。土曜、日曜ともに、草刈り。草刈り、草刈り、草刈りでした。自分の背丈を超えるススキなどを刈り、やっと7割ほど終えたでしょうか。あとは盆休みで刈りきる予定です。
今年は、ヤマモモがびっくりするくらい、実を付けています。鳥がつついたりしますが、なぜか、あまり食べません。独特な甘酸っぱさの味です。身体を動かし、汗をいっぱいかいたあとには、ことのほかおいしく感じられます。冷やして食べれば、また格別です。
あまりたくさんなので、お隣のSさん(といっても150メートルくらい離れています)のお宅にも。飾るにもよいだろうと、少し大ぶりな枝ごと、持ってゆきました。ご主人も奥さまも、とても喜んでくださいました。ご主人は豊橋出身の方なので、子どもの頃、いっぱい食べたものだとなつかしんでおられました。ヤマモモは、どちらかと言えば、暖かい地方のものらしく、ここ作手では、他に見かけません。
ただ成り放題のヤマモモをお持ちしただけなのに、いっぱいの手作り野菜をいただいてしまいました。キュウリ、ナス、シシトウ、ピーマン、ウリの5種類を袋いっぱい、両手にかかえるくらい、いただいてしまいました。無農薬・露地栽培です。ヤマモモを口実に、なんだか、貴重な野菜をもらいに行った気がします。来年からはヤマモモ酒などをつくり、みなさんに少しずつお分けしようかな、とも考えています。

さて今回の花便り。花の名を上げる程度にします。(以下7.29-30写真撮影)

トウキ、近くで見ると、ゴージャス。

オミナエシ、素朴な黄の色に惹かれます。

ハーブの一種ですが、名前は忘れました。

シモツケ、白色もあり一見ひなびた感じです。この山の風情には、似合った花です。

マツムシソウ、淡い紫のやさしい花です。

クチナシ、桜の枝の上に顔を出しているものをパチリ。

ヤマモモ、きれいな実です。

チダケサシ、ほんわりとした感じの美しさです。

ノギラン、地味ですが、なぜかあなどりがたい花です。

その他合歓の花、ヒメヒオウギズイセン、ギボウシなど。


2006.8.7 農協弁当売り場の前で人生の夢を

8月5日午後、記。
夕方7時半から、豊田自治区で明日の盆踊りの打ち合わせがあります。作手に行くのは止そうと思っていたのですが、日中の気温が今年最高になるとの予報に、暑さ逃れに早々と家を出ました。
作手の農協で昼の買い物をしていたら、偶然、Nさんに出会いました。自然愛好会は、明日、市教育課が主催する「段戸裏谷(きららの森)をあるく」に協力参加します。わたしは、地元の盆踊りの準備があるため、参加できません。参加者が、どれくらいになるだろうか、ということから、農協内の弁当売り場の前で、つい立ち話をしてしまいました。
今回は、新たにSさん家族やKさんなど、若い方の参加申し込みが目立つとのこと。常は、いつも同じ顔ぶれで、しかも高齢者ばかりです。若い方々の参加申し込みがあるというだけで、Nさんとの話は弾みました。若さとは、すごいものです。こちらまで気分が高揚し、いつの間にか、Nさんもわたしも互いに自分の夢を語り合っていました。
Nさんの夢は、作手をホームグラウンドとして、東南アジアや南米など、世界中のトンボを見て回ることだそうです。また、作手に生息するトンボの種類が激減しつつあるのを悲しみ、昔のようにいろんなトンボが飛び交う村に戻せないものか、とも語りました。Nさんの話は、思いが深いだけに、聞く者の心を打ちます。
さて、今回の段戸山行き、若い方の参加がほんとうにあるのでしょうか。「どんな化学反応が起こるか、楽しみです」。Nさんは少し笑いながら言いました。そうです。分かります、その気持ち。これを機会に、自然愛好会もちょっぴり若返り、いろんな分野の活動と連携することで、自然への取り組みが深まりかつ広まることを願います。
弁当売り場前での、とても有意義な立ち話。今日はやはり、作手へ来て良かった!
ヤマモモが、赤黒く熟した実をたわわにつけていました。試しにヤマモモ酒をつくる気になり、妻とともに手をべとべとにして、実を摘みました。夕方自宅に帰り、1.4キロの実を、1.8リットルのホワイトリカーにつけました。実を取り出すのは、正月あたりの予定です。
花便りは、ムクゲ、キキョウ。そして自生のノリウツギ。ノリウツギの白い花は、木草の緑を背景にすると、意外にも惹き付けるものがあります。


2006.8.12 水の話その三、水のゆくえ

わたしたちの山から流れ出た水は、いったいどこにゆくと思いますか。ちょっと考えていただければ分かります。むろん、最後は海に注ぐのです。でも、最後は海に注ぐだなんて、実感が湧かないのではないでしょうか。わたし自身、そうでした。それが数年前、村の近所のお年寄りからある話を聞いて、深く実感させられました。
山から出た水は、向かいの小湿原へと流れ込むことは、すでに書きました。その湿原から先は、地区を流れる川へと続きます。お年寄りの話では、昔その川で、ウナギが捕れたというのです。うらやましい話だと、漠然と聞いていました。
お年寄りは言葉を続けました。羽布ダムができてからは、ウナギが川にのぼってこなくなった、というのです。それで、はたと思い当たったのです。羽布ダムは、作手・下山村を流れる巴川をせき止めたダムです。つまり、地区の川は、巴川へと続き、羽布ダムを流れ落ちて矢作川水系、三河湾へと続いているのです。
ウナギが海で生まれ,川で成長して,成熟が始まると外洋の産卵場へ戻っていくことは、単なる知識としては知っていました。産卵場となる海は、今では、マリアナ諸島沖であると特定されています。つまりマリアナ諸島沖で生まれたウナギは、三河湾、矢作川水系、巴川へとさかのぼり、羽布ダムの巨大なコンクリートの壁にはばまれて、作手への回遊を絶たれたのです。
このことに思いを馳せた時、わたしは始めて、川と海がつながっていることを実感し、同時に、わたしたちの山の水が、はるか遠方の海へと流れていることを実感したのです。


2006.8.18 脳みそが腐るくらいの暑さ

12日から15日までが、盆休暇。脳みそが腐るくらいの暑さでした。仕事に備えて15日は豊田で過ごし、あとは作手の山荘で過ごしました。あまりの暑さに何も作業はせず、家族三人、ただごろごろと寝ているばかり。あとは日に一回、手作り村と農協に買い物にゆく程度。これほど何もしない休みの過ごし方は、初めてです。
とくに12日の蒸し暑さは、異常に感じられました。空は、曇りなのか晴れなのか分からないどんよりとした天気。木草がうっそうとしている分、湿気が山にこもっている感じです。このような天気が、近年多くなりました。滅びゆく四季の美しさ、というものを感じます。
こうした気候になったのは、たぶん六七年ほど前からではないかと、思います。ログを建てた頃の夏の夜といえば、寒いくらいでした。昼寝をするときなど、部屋の中を吹き抜ける風に毛布をかけていたくらいです。また当時は、村の家々にはクーラーがありませんでした。今では、多くの家庭で、クーラーを取り付けています。さらに、以前は蚊がいなかったのに、今は時に香取線香をたかなければなりません。
気温が高くなったせいで、木草の伸びもひどいものになりました。刈っても刈っても、草が伸びます。山全体に若々しさがなくなりました。見苦しささえ、感じます。風の通りも悪くなりました。清新さがなくなりました。
湿気もひどくなったような気がします。作手はもともと雨の多いところです。それでも蒸し暑さを感じなかったのは、やはり気温が低かったからでしょう。それが今では、山全体に湿気がこもり、風の通りも悪くなったため、山荘のある谷に湿気が澱んでいるように感じられます。
空の様子も変わりました。以前の青空は、ほんとうにきれいな青空でした。くっきりとした白い雲の浮かぶ、真っ青な空でした。松の緑葉を透かして見る青空と白雲は、ほんとうにきれいでした。今そんな空は、めったに見られません。そして松葉の緑も、松枯れのせいで過去の耀きはありません。
滅びゆく四季の美しさ。こんな寂しい話を、しなければならなくなりました。
13日の午後は、豊田市内のT牧師ご夫妻を訪ねました。時間調整のため、途中で松平東照宮に立ち寄り、オミナエシやギボウシのいっぱい咲いた庭園を散策しました。心が落ち着きました。14日の夕方から夜11時半頃まで、M先生宅に家族で伺いました。3時間ほど話し合ったのですが、酒に酔っていて、何を話し、聞いたのか、ほとんど記憶にありません。山の寂しい話と、人のうれしい話と、ごっちゃになった盆休みでした。
花便りです。ノリウツギ、レモンエゴマ、ゲンノショウコ。自生のキキョウが一輪だけ花をつけました。写真には取り損ねましたけれど、これはとてもうれしい話のひとつです。その他オニユリ、また湿地ではサワギキョウが咲きはじめました。


2006.8.21 水の話その四、山の水を飲む

同じ地区に住むお年寄りのご夫婦に、とても親切にしていただいた時期があります。山の敷地内に水道を引くさいに、ご主人が工事人夫としてみえたのがきっかけです。菜園の作り方で助言をいただいたり、また手作りの野菜をいただくなど、ほんとうにありがたいご縁でした。ご主人が亡くなられたのを境に、おつき合いもなくなりました。
そのご主人に、ある日うらやましがられたことがあります。わたしたちの山に、水の流れがあるのが、ねたましいというのです。正直なお気持ちを言葉にされ、いっそうご主人の人の良さを思いました。ご主人は、庭作りの好きな方だったのです。水の流れを工夫すれば、ほんとうにいい景観が作り出せるのにと、悔しさを笑顔の中にちょっぴりまじえておっしゃいました。
その頃のわたしは、作庭にはまったく興味がありませんでした。わたしにとり、水はただ流れているだけのものにすぎなかったのです。それどころか、大雨など、水の害を心配していたくらいです。
良い意味で水を意識し始めたのは、山の水を飲むようになってからです。7、8年ほど前です。きっかけは、ある大工さんの言葉でした。
ロフトを作りたいと思い、M先生のエコハウスを建築した大工さんに依頼しました。気風のいい気さくな方で、またわたしたちの山をとっても気に入ってくださり、いっしょに山を歩きながら、環境問題などいろいろな話を聞かせてくれました。その中で、水の話がでたのです。
一番上の池のところで、この水飲めるよ、というのです。そして手にすくい、その場で飲んで、うまいというのです。わたしは、呆気にとられて見ていました。こんなうまい水、飲まなきゃもったいない、人はわざわざお金を出して、こういう水を飲むんだよ、と大工さんは言葉を続けます。
水が飲める、という話は、実はログハウスを建てた大工さんからも聞いていました。たぶん、工事の間飲んでいたのでしょう。でも実際に飲むところを見ていないので、実感もなく、ただふうんと、聞いた程度の受け止め方でした。
それが今目の前で、実際に飲む姿を見て、ああ飲めるんだぁ、とわたしは思いました。大工さんは楽しそうに、ぼくらが子どもだった頃は、ヘビやカエルといっしょになって水を飲んでいたもんですよ、と言います。そうなんだあ、とこちらの話も、変に納得。以来、わたしたちは山の水を飲むようになったのです。


2006.8.25 水の話その五、水の流れに至福の時を

山の水は、その味からして明らかに軟水です。わたしに限れば、生で飲む場合もありますし、家族で飲むときは、一度沸騰させたものを冷やして飲みます。甘いと感じます。もちろん、砂糖の甘さとは異なった甘さです。お茶やコーヒーなどをいれる時は、味がまろやかになります。もっともおいしく飲める季節は、草萌えから新緑にかけての時期です。
この話を豊田市に住むわたしの友人にしたところ、以来彼も遠い距離を車で往復し、水をわざわざポリタンクにつめ、自宅で飲むようになりました。コーヒーをいれる分だけそのつど沸かし、それを飲んでいるそうです。彼によれば、夏場でも2週間くらいはおいしく飲めると言います。それを過ぎると味が落ちるそうです。
またこの水で、わたしたちは、山の作業の合間に顔や腕を洗うことがあります。つるつるとした感じになり、さっぱり感が、ふつうの水道水に比べ増すように思います。アトピーの人に良いのではないでしょうか。 以前、山梨の湧水で身体を洗い、アトピー症状を快癒された方の話を聞いたことがあります。湧水ではありませんが、同様の作用がはたらくように思います。
注意点もあります。雨水が山に浸透し、それが染み出て流れとなっているのですから、雨後3日くらいは飲まないようにしています。それに沢と同じで、流れのどこかに生き物の死骸などがあるかも知れません。木草の塵も混じっているでしょう。自分の舌を敏感にするしかありませんし、透明な容器で水をくみ、塵状のものがどれくらいあるか、最初に確認するようにしています。砂や炭などを利用して浄水・濾過できればいいな、と漠然と思っています。
飲み水以外の利用では、木草を移植したさいの水やりと、せいぜい洗車くらいでしょうか。風呂にも使いたいのですが、ただそう思うだけ。庭の景観作りにも、とこれも、ただ思うだけ。水に対して、なんだか申しわけない気がします。はたらかなくとも暮らしてゆけたら、水とたわむれるように、いっぱいいろんなことがしたいと、……。これもただ思うだけに、終わるのでしょうか。
最後にひとつ、大切なことを書き添えます。水の流れがもたらす恵みは、モノとしてばかりではありません。わたしたちの心にも、恵みは与えられます。清い水の流れは、ただぼんやりと見ているだけで、気持ちがなごみます。また、水の流れる音は、聞くともなしにわたしたちの耳にはいるのですが、安らぎと落ち着きとを、わたしたちの心に与えてくれます。暑さの鎮まった夏の夕暮れなど、流れの音にしばし耳を傾け、至福の時を過ごします。


2006.8.28 ようやく涼しい風が

山荘の床に寝ころんで、昼寝をしました。涼しい風が、腹のあたりをスウッとよぎります。なつかしい涼しさにやっと出会えました。和室の畳の上では、妻と娘がやはり昼寝。ぐっすり寝ていました。
盆を過ぎ、草の伸びも少々落ち着いたようです。しばらく雨も降らなかったので、空気も乾いています。秋の気配を、それとなく感じます。今まで、蒸し暑さと格闘していましたので、なんだか、山と和解できたような気分です。
三時から、草刈り。作業の合間、久しぶりに山の水を飲みました。妙な言い方ですが、水っぽい味です。少しは、雨が降ったのでしょうか。いつもならば、もっと甘さがあります。四時あたりから、妻が炭を熾し始めました。夕食の菜にと、シシトウ、ナス、ソーセージ、トウモロコシを焼きました。それから、ハトムギ茶を何時間もかけて、煎じました。
花便り。サワギキョウ、ハナトラノオが盛りです。トウキ、シラネセンキュウの白と、オミナエシの黄色が、おもしろい対比をなして咲いています。足もとには、露草の藍が散らばっています。その他、ミソハギ、ハギ。カノコユリ。タラノキの薄緑の花の付き方が独特です。鹿踊りの飾りを連想します。
疲れのせいか、まとまりのない、文章です。翌27日は、G先生の家で、自然愛好会の集まりがありました。G先生、Nさん、Oさん、Mさん、Tさん、Iさん、Kさん、わたし。わたしは、9時から12時半まで参加。ほかの人たちは、まだまだ楽しそうに、話し込んでいました。


2006.9.4 作手村100周年記念資料展

9月2日の土曜日、朝十時前に作手に着き、「作手村100周年記念資料展」を、妻と娘と共に見に行きました。先週の自然愛好会の集まりで、ぜひ見に行ってくださいと、みなさんから勧められたのです。会場は旧村役場と、それに隣接する歴史民俗資料館の2箇所。入場料は無料。最初に、旧役場(現新城市作手総合支所)の展示会場に立ち寄りました。
作手村は明治39年(1906)に、近在の諸村の合併により、誕生しました。そして去年、新城市との合併により閉村しました。ちょうど百年の歴史を経たことになります。
展示会場は、まずこの百年の歴史が、写真や民具などの展示により、分かりやすく紹介されています。わたし自身六十に近い年齢なので、写真も民具もとてもなつかしく見学しました。特に、モノクロの子どもたちの写真などは、昔の腕白仲間たちが写っているようで、身近に感じました。昔は着るものも粗末なものでしたが、今こうして見ると、そうした貧しささえ、懐かしく思われます。
主な展示のいまひとつは、作手に分布する植物や生き物たちを、写真や標本によって紹介しているものです。わたしより先に、こちらの展示エリアに足を踏み入れた妻が、他の見学者がいるにもかかわらず、ひときわ高い歓声を上げました。そしてそのすばらしさを、ひとり口にしながら、展示物を眺めているようです。
遅れて入ったわたしも、思わず、口から歓声を洩らしました。Nさんによる、種々のトンボの写真や標本が、展示されています。とにかく、その美しさには驚きます。トンボがこれほどきれいで、魅力的なものだなんて、今までは思いもよりませんでした。トンボの目玉が、自分にとり世界で一番の宝物、とおっしゃるNさんの気持ちも分かるような気がします。
トンボに次いで、昆虫の標本、蝶、蛾の標本が続きます。さらに、作手に咲く花の写真集へと続きます。実に見応えのある展示です。仲間の皆さんの意気込みと愛情が、ひしひしと伝わります。
心身障害のある娘にも、これらの展示物はとてもおもしろいものに映ったようです。にっこりにっこりし、なにやら言いながら、ひょっこりひょっこりと見て回りました。
すっかり堪能した思いで、次は、第二会場である歴史民俗資料館に行きました。資料館の階段をのぼり、玄関口まで来たとき、なんと自然愛好会のMFさんが、わたしたちを出迎えてくれました。思いがけない展開に、どちらも驚きと喜びでいっぱい。
と、ここまで書いて、もう書ききれませんので、止めます。最後に、MFさんの作品が載っている、B5大のボスタータイプの写真をいただきました。やはり作手の風景を描いた作品です。ラッキー、妻が大喜びでした。
山荘の庭に、ミズヒキソウの花が咲き始めました。


2006.9.10 疲れています。でも、作手に行って良かった!

9月9日、土曜日の夜、豊田で自治区の定例会議があり、山荘での一泊はできませんでした。それで日中は、作手自然愛好会のホームページ作りに、ほとんど一日を費やしました。なんとか、トップページを作成。今後少しずつ、完成へと作業を重ねてゆく予定です。
日曜日の朝、疲れが残っていましたので、日帰りで作手に行くかどうか迷いました。でも、妻や娘たちも楽しみにしていますので、心をふるいたたせて、出発。山荘には、10時前に着きました。夏らしい蒸し暑さがありましたが、青空に光る雲がモコモコと湧いている、秋らしい天気です。入口には、コスモスが咲いていました。
とりあえず、山をひとめぐり。もう心は、浮き立つばかりになりました。まずは菜園。見上げる高さには、キクイモの花の群落、足もとには、ニラの花が其処此処に。さらに地生えキュウリの出来具合を確認。来週に収穫できそうです。次に、ミョウガが出ていないか見たところ、茎葉の茂みからのぞく土にあるわあるわという感じ。妻が腰を曲げて採りはじめたのを、帰る前にしようと制しました。近くには、青じその白い花が咲き始めています。レモンエゴマの花も、同様な風情で咲いています。
次の場所では、ホトトギスが咲いていました。うれしくなります。ホトトギスの奇妙な花の形が、なんともかわいらしい。そんなホトトギスが、あたりにいくつも咲いています。ちょうど咲き始めた頃らしく、そんな初々しさが、また可憐です。
さらに山路を上り、白萩の花を見ます。清楚ではかなげで、心惹かれます。湿地では、まだサワギキョウが咲き、新たにマアザミが咲き始めました。それらを囲むように、サワシロギクが咲いています。
山をくだり、家に戻ります。石垣には、ゲンノショウコ、ヘクソカズラが、石の間からおもしろい感じで、花を咲かせています。家の入口近くの、ヌスビトハギの隣りに咲く白い花はなんでしょう。ミズヒキソウが、ほんとうにはかなげに咲いています。
山をひとめぐりしたあとで、向山湿原に行きました。植生調査をしているNさんたちに、出会いました。ホームページのアドレスを伝え、買い物に。戻り、昼を食べ、少し休み、妻と共にミョウガ採りです。いっぱいの収穫。あの人にあげよう、この人にもあげようと、採れるだけ、採りました。
まとまりのない文章ですが、とにかく今年1年は、記録のつもりで書き続けます。


2006.9.25 実りの稲田と、シマヘビの昼寝

豊田市の自治区が秋祭りを迎えています。役を担っているわたしは、このところ、作手の山荘へは日帰りばかりです。季節の花の移り変わりは、少し落ち着き、先週、先々週も、咲いている花の種類にあまり変化はありません。
作手郷の稲の実りが、とても美しい季節になりました。とりわけ、白鳥神社から見た稲田の美しさは、思わず、妻と声を上げてしまうほどでした。稲田の美しさは、春の水を張る頃とともに、ほんらいなら、ひとまとまりの文が書けるのだと思います。
山荘で、昼を食べていたら、テラスに伸びたオウバイの交差した枝に、大きなシマヘビがいるのを、見てしまいました。8の字状に胴体を折り曲げ、顔をこちらに向けて、どうやら昼寝をしているようでした。カエルでも飲み込んだ後なのでしょうか。胴がやたらに太い。やっぱり気味のいい姿ではありません。娘の加奈さんは、見たくないと言って顔をそむけ、妻はおもしろそうにのぞき込んでいます。
シマヘビの顔は、よく見ると、そんなに気味の悪いものではありません。わが山荘の部屋からは、身近にヘビ観察ができるんだなと、ちょっと複雑な気分でした。ガラス戸越しに、ヘビをちらちらと見ながら、わたしも昼寝をしました。
作手自然愛好会のHPを、現在作成中。区役。仕事における労務上のトラブル。さすがに、グロッキー気味です。


2006.10.2 シマヘビでなく、アオダイショウでは

9月30日、日帰りで山荘に。先週と同じ場所に、やはりヘビがいました。すっかり住みついているという感じで、複雑に交差したオウバイの枝に乗っかっています。わたしは、見るだけでもぞぞっとしてしまいますが、妻は平気なもので、「あーらヘビちゃん、お昼寝?」などと言いながら、近くでのぞき込むようにします。どうやら、わが山荘の屋敷蛇様になりそうです。豊田に帰ってから、インターネットで種類を調べたら、シマヘビではなくどうもアオダイショウのようです。
さて、山をひとめぐりして、ヤマカガシを四匹見ました。内、一匹は撃墜。ヤマカガシはマムシと同様、見たら殺すようにしています。ヘビ嫌いのわたしですので、ほんとうは見たくもないのですが。
入口あたりのサワシロギクが、うす紅く変化しつつあります。ゲンノショウコの白花、紅花が可憐です。アキノキリンソウ、ヨメナが咲き始めました。キンモクセイ・ギンモクセイが咲きはじめましたが、勢いがありません。。今年は、山の木の葉全体に生彩がなく、とくに桜の葉が、もう枯れたようになっています。メリハリのなくなった気候と、関係しているのでしょう。はたして、今年の紅葉はどうかな、と思っています。ツルリンドウが咲いていますが、こちらも色に生彩がありません。マユミ、ムラサキシキブなど、実の色づきが目立ち始めました。
蝶や鳥が、今日は、なぜか目立ちます。いろんな鳥が、木から木へと飛び交い、しきりに鳴いています。妻が蝶を捕まえるんだと、捕獲網を手に追いかけていました。でも体力が続かず、足もとのバッタを捕まえていました。
キノコは、ヌメリダケをふたつ採りました。たったふたつです。汁の実にするくらいです。これから、はたして出るのでしょうか。以前は、ヌメリダケ・ハッタケが其処此処に出ていたものですが、去年もほとんど採ることができませんでした。これもやはり、気候温暖化のせいでしょうか。アミタケはよく出ていましたが、こちらは時期がすでに遅かったようです。ほとんど虫食い状態です。9月の半ば頃から、来年は注意して見ようと思います。


2006.10.9 ホームページを作りました。

8日は、豊田自治区の秋祭りでした。朝の8時半から夕方5時近くまで、役を務めました。7日(土)の夜は、その前夜祭でした。それで、今回は作手には行きませんでした。
実は、作手に住むKさんのご主人から、8日の作手の秋祭りにお誘いのメールをいただきました。さすがに、豊田自治区の役を離れるわけにはいきませんので、来年はぜひ伺いたいと、メール返信をしました。誘っていただき、感謝です。

作手自然愛好会の、HPを作成しましたので、ごらんください。とりあえずは、名刺程度のものです。

http://…………


2006.10.17 迷いましたが、とにかく行きました。

仕事のトラブルなどで疲れ、さらに時間的にも余裕が無く、最初は作手に行く気はありませんでした。でも15日の日曜は、まさに秋晴れ。それで、妻と娘を伴いとにかく出かけました。
澄んだ空気の中、山が色づきはじめています。今年の紅葉は、桜が茶色に枯れた葉をすでに落とし、山全体に病的な感じがします。
センブリ、リンドウが咲き始めました。ヨメナの群れが、あちらこちらで今を盛りに咲いています。アキノキリンソウは、盛りを過ぎました。岩組の岩の間に、ツワブキが鮮明に花を咲かせています。ヨメナの白と、よい対比をなしています。
実ものでは、マユミが例年通り、たくさんの紅い玉を付けました。でも、ムラサキシキブやガマズミなどは、貧相な実の成り具合です。今年は、ハチヤ柿も、ほとんど実がありません。異常に蒸し暑かった夏に続いて、この秋は、いまひとつ冴えがありません。
今年最初の菊芋を収穫しました。これから少しづつ、食べる分だけを収穫していきます。昼にかけ、いつもどおり、道の駅「手作り村」と農協で買い物をしましたが、野菜などは、安くて新鮮。売り子のおばさんの人柄も良く、村の豊かさをつくづく感じました。
先々週は、手作り村で、菜の葉ごはんに漬け物がふるまわれていましたし、バケツに入れたコスモスも、プライスフリーでした。今日、妻が熟した柿をひとつ手にとったところ、おばさんが言うには、それ市場価値がないから、あげるよ。そんなやりとりを見ているだけで、楽しくなります。
大東牧場の、ソフトクリームが売っていましたので、抹茶入りひとつを買って、三人で食べました。秋の澄んだ空気と日差しのせいもあり、ほんとうに楽しい気分でした。


2006.10.28 一ヶ月ぶりの泊まり

作手に泊まるのは、およそ一ヶ月ぶりになります。21日の土曜日は、秋晴れの青空。山は明るく色づきはじめていました。妻と娘とわたし、家族三人、車から降ります。心が浮き立ちます。青空を見上げると、飛行機雲が白く条をなして走っていました。空高く、飛行機がちいさく見えます。日を受けてプラチナ色に光っています。西の方に音もなく飛んでゆく様は、不思議なくらいに軽やかです。
なんとも甘い匂いが漂っています。山荘への緩やかな坂の登り口にある、ヒイラギの花からでした。濃い緑葉の間に、白い小花をいっぱいつけています。近くに寄ると、むせるほどの甘い匂いです。ちいさな羽虫たちが、群がって低く羽音をうならせていました。
山荘の窓を開けた妻が、声をあげました。例のヘビが脱皮をしていました。長い抜け殻を、オウバイの枝に残しています。ヘビの姿は見えません。妙な親近感を覚え、抜け殻はそのままにしておきました。
山をひとめぐりしました。ヨメナが、あちらこちらに群れをなして咲いています。伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の野菊は、カントウヨメナではないかといわれます。カントウヨメナの花は全体に白いそうです。わたしたちの山のヨメナは、白い花もあれば、薄紫の花もあります。それらが混じって咲いているのですが、悲恋物語には、こちらの方が似合っているのではないかと、勝手に思ってしまいます。(ノコンギクとの混生です)
センブリ、リンドウが今を盛りに咲いています。センブリの花の形から、わたしは星を連想します。足もとに広がる、地上の星だという気がします。センブリの白い花の可憐さに比べ、リンドウの紫の花には、逞しさや力強さを感じます。これら野の花には、鮮烈な美しさがあります。園芸種にはない、媚びることのない凛とした気品があるように、感じます。趣を変え、ときおりコウヤボウキの花が、ひょうきんな姿を草間にのぞかせています。
山の中ほどの坂道の脇に、ニシキギがあり、その赤い実を何匹かのメジロがついばんでいました。少し離れた位置から、妻と眺めていました。メジロの小刻みな動きは、見ていてけっこう面白いものです。そのほかの鳥たちも、山のあちこちを、木の間隠れに飛び交っています。いろんな鳥の鳴き声がします。残念なことですが、わたしは鳥たちの名をほとんど知りません。鳥の好きな人なら、きっと楽しいだろうなと思います。
湿地には、マアザミがまだ残っていました。新たにヤマラッキョウが咲いています。去年より株が増え、其処此処に咲いています。マアザミと同系色の色で、線香花火を散らしたような花の形です。美しいというより、どこか愛嬌のある花です。
山をめぐり、あらためて、色づき始めた秋のさまに感嘆します。
歌三首を、思い起こしました。

※今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽けき寂滅びの光(伊藤左千夫)

※若く来し野にセンブリの花を見るああ五十年といふ歳月過ぎぬ(浦田整子)

※ひそやかに風は木(こ)ぬれの葉を揺らししずかなるもの秋のひかりの(佐野喬則)


2006.10.30 言葉の断片(10/28.29)

日曜の朝。言葉の断片。
朝露の美しさ。光るクモの糸。夜の雨。朝の青空。白雲。ほこほこと。
音楽の泉。メンデルスゾーン。交響曲第二番。賛歌。主よ。
東に流れる、雲を窓辺に。
………。
いっぱい、いろんな、幸せがありすぎて、書けません。

ハチヤ柿、今年も実りました。去年、一昨年と百個以上も成りましたから、今年はさすがにダメかなと思っていたら、30個ほど成りました。妻の好物です。感謝。
柿の葉の色づきが、きれいです。大柄な葉を、柔らかな感じの明るいオレンジ色に染めています。
シャラの木も、複雑な色の紅葉を見せ始めました。こちらはやや茶色がかったオレンジ色で、柿の葉の紅葉に比較すると、硬質な感じがあります。色づいていない緑の部分と、微妙なバランスが独特です。
フユノハナワラビが、珍妙な姿を見せています。


2006.11.6 色づいた葉たち(11/4.5)

リンドウの花が終わりかけ、サザンカの花が咲き始めました。でも全体に、おおかたの花は終わり、木の葉の色づきが、目立ちます。
山荘近くから、カキ、シャラ、サルスベリ、アカメなどと続き、あちこちにヤマイモが色づき、遠くにはコシアブラ、シロモジが黄葉しています。緑と黄色とオレンジと、朱色がやや混じった山の色づきです。
山をめぐり、ムカゴをつみ取り数粒口にしました。ムカゴの好き嫌いは人それぞれでしょう。わたしはあまり好きではありません。せいぜい生のムカゴを、つまんで食べるくらいです。ふつうは軽く炒って食べたり、ご飯に混ぜたりします。おかゆに混ぜると、とくに旨いそうです。
夜は、満月に近い月でしたので、しぱらく薄闇の外に出て眺めていました。山荘に来ると、こうしてひとりでぼんやりすることが、よくあります。
日曜の朝起きたら、日の光がすっぽりと色づいた谷山を照らし、まるで青い天蓋を持った壮大なゴシック聖堂のようでした。


2006.11.13 寂しい作手祭り

日帰りで、つくで祭りに行きました。午後1時間くらい、会場で過ごしました。人がいっぱいで、みんなとても楽しそうでした。立ち並んだ模擬店には、いろんな食べ物を売っていました。でも、食べ物ばかりです。木工の展示もなく、染色の展示もありません。あのおじいさんの竹細工もありません。わたしたちにとっては、寂しい作手祭りでした。以前のような、楽しさを味わうことはできませんでした。


2006.11.20 命の木(11/18.19)

わたしたちの山の紅葉は、今が盛りです。華やかな紅や黄の色づきに目を奪われます。中には、これから色づこうとしている黄緑の葉もあれば、逆に枯れ色の葉を残しているものとか、すでに葉を落としている木々もあります。そして松やモミノキ、サザンカなど、常緑樹の緑が混じります。これらの木たちが複雑に絡み合って、山全体を明るく深々と色どっています。
色づいた木を、目につくままに記しましょう。ヤマグリ、コナラ、イタヤカエデ、コシアブラ、モミジの類、イチョウ、ブナ、ニシキギ、カキ、シャラ、ヒメシャラ、シロモジ、サラサドウダンなど。桜に欅は、ほとんど葉を落としています。
自生の木のおおかたは、黄葉をするものです。あざやかな紅葉は、植えた種々のモミジとサラサドウダンが目立ちます。いずれも亜高木程度に育っていますので、自生の木の色づきに負けてはいません。紅の炎を連想させる色づきです。これらふたつの色を、ひとつの木に微妙に混ざらせている木もあります。自生のイタヤカエデがそれです。
このように色づいた山路を歩いてゆくと、見通しの良くなった木々の枝に、小鳥の姿をよく見かけます。花の季節が終わり、蜜を吸う虫たちが姿を消し、その代わり、餌を求める小鳥の小刻みな動きが目立ちます。花の季節が終わり、と書きましたが、今はサザンカがきれいに咲いています。でも蜜を吸う虫は、あまり見かけません。
色づいた山で、ひときわ目立つのが、イチョウです。たった一本のイチョウですが、明るい黄の色の華やぎは、きわだっています。透明感のある清潔な色合いです。山荘から少し離れた、北側にあります。山荘のリビングからも窓をとおし、イチョウの黄色の華やぎが間近に見られます。この一本のイチョウのおかげで、山はまさに秋の黄金の谷となります。わたしは、夕方近く薄闇の中で、このイチョウをぼんやりと仰ぐのが好きです。心の灯火を、このイチョウに見る思いがします。
実はこのイチョウは、わたしたち夫婦にとっては、命の木です。ひとり娘が生まれた時、記念して購入した木だからです。岩手県盛岡市の、住吉神社の露店で買いました。鉢植えの、手のひらほどの丈の、細ほそとした苗木でした。鉢植えですから、なかなか育ちません。 愛知県に戻ってからは、実家の庭の片隅に、この後どこに植えるか当てもないまま仮植えをしました。やはり、大きくは育ちませんでした。娘は心身障害の身であり、わたしたちは、ずっとアパート暮らしでした。イチョウの行く末に思いを馳せることもなく、年月を過ごしました。
転機はもちろん、山を購入してからです。でも購入してすぐに植えたわけではありません。一部を造成したせいで、地肌がむき出しの、石塊がごろごろしている、とても荒々しい山だったのです。その後、わたしたちはさらに造成を重ね、土地を形づくり、道をつくり、小さな広場をつくり、山に優しさが感じられるようになって、移植しました。移植した時は、ワゴン車で運べる程度の大きさでした。15年くらい前のことです。
それが今ではどうでしょう。山荘の屋根よりも高くそびえ、空に向かって豊かに枝を広げています。まるで、30年の命を謳歌しているかのようです。心身障害とはいえ、娘はとても元気です。老い初めたわたしたちより、元気です。華やかに黄の色を放つこのイチョウを見上げると、娘の命そのものだと、感じます。この命から、わたしたちは力を与えられ、今を生きているのです。


2006.11.27 最後の紅葉

土曜日が仕事でした。それで日曜日、日帰りで山荘に行ってきました。301号から狐塚に回り、三河湖方面から作手に入りました。ひと月ほど前から、行くときにはこのコースが定番になっています。紅葉の季節という理由からでしたが、今では、途中の直売所などで新鮮で安い野菜が手に入るのが、主な理由です。今後もしばらくはこのコースで出かけるつもりです。道中の紅葉は、最後の輝きを見せていました。
山荘のある山は、もうほとんどの木が葉を落とし、冬の始まりを感じさせます。わたしたちの山は、おなじ作手村でも気温が低いのだと思います。150メートル位離れた民家のイチョウが、まだ黄色の葉をふさふさとのこしているのに、わたしたちの山のイチョウは、すっかり葉を落としています。
小雨がぱらついてきましたので、松葉を摘んで、早々と山荘を離れました。松葉は、松葉湯にするためのものです。こんな文章ではいけないのですが、メモ的な記録として、とにかく書いておきます。


2006.12.4 赤い指輪

土曜日、日帰りで作手に行きました。先週と同様、三河湖経由です。山々は、晩秋の最後の彩りを見せていました。湖面は、静かな波が白く日に輝き、周囲の紅葉ととても良くマッチしています。途中、民宿「三河路」で早めの昼食。客はわたしと妻と娘の三人だけ。高台にある広い食堂から、もみじの山々と日に輝く湖を眺めながらの食事でした。気持ちが穏やかになる、とても落ち着いた時間でした。
わたしたちの山は、もうすっかり葉が落ちつくしています。道中の紅葉が最後の華やぎを見せていただけに、なんだか寂しいくらいです。山路に散り敷く落ち葉に、かろうじて晩秋の名残を見る思いがします。

※みわたせば花ももみじもなかりけりうらのとまやの秋の夕暮れ(藤原定家)

この歌には、広々とした風景と心にしみいる静けさを感じますが、わたしたちの山はそうではありません。枯れた松の木が目立つ、荒涼とした谷山です。山路を歩いたら、そこ此処にツルリンドウが赤い実をつけていました。楕円形で、赤い指輪を連想させる玉の光沢です。心がほっとなごみました。


2006.12.17 この寂しさは、……。

この寂しさは、なんだろう。山は、眠りに就きました。


2006.12.31 悲しみと喜びのクリスマス

ひと月余、ずっと日帰りばかりでした。23日と24日の土日にかけ、妻と娘と家族三人、ようやく一泊できました。暖かで、穏やかに晴れた2日間でした。気分良く、過ごしました。ところで12月に入ってからは、山荘を空ける時は、水道の水抜きをしています。暖かいと思っていても、いきなり寒くなりますので、油断禁物です。水道管が凍りついて、破裂してしまうのです。
冬場の作業も本格的に始めました。土曜日の午後からは、まず、山に接する舗装路の路肩の草刈りをしました。7月の末に行った場所です。枯れた茅の類の草が、膝ほどの高さになっています。それを刈る程度なので、1時間半ほどで、終えてしまいました。この時期に刈るのには、それなりの理由があります。この道路は、村の人たちの散策路にもなっています。そして路肩には、夏から秋にかけて季節の草花が可憐に咲きます。ですから、それらの花が咲き終わるのを待つのです。
やらなければならない作業は、いっぱいあります。とりあえず次は、一輪車で、土運びをしました。入口の駐車スペースをひろげるための、地ならしです。山の上の土を一輪車に盛り、てくてくと山を下って、入口あたりの低くなった場所に土を落とします。そしてまたてくてくと山を登り、同じことを繰り返します。なんだか気の遠くなるような作業です。気の向いた時にやる程度なので、はじめてからもう1年近くになります。シシュフォスのギリシャ神話を連想してしまいます。
暗くなるまで作業をしていたら、西の夜空に上弦の三日月がのぼりました。黒い影をなした山荘の屋根の上に、赤みがかった金色の光を鋭く返しています。そんな三日月を山の中腹から眺めながら、ひとり一輪車を押します。ドイツロマン派の画家フリードリヒに、「月を眺める二人の男」という作品がありますが、月を眺める彼らと同じく、幻想的な心境にかられます。
さて、月といえば、星です。残念ながら、その夜、星はほとんど見られませんでした。清かな冬の夜空であれば、そこそこに星が見られます。わたしたちの山くらいでは、降るような星空は見られません。それでもわたしは、山荘の外に出て、夜空の星を眺めるのが好きです。クリスマスの頃になると、大きな常緑樹の下に立ち、葉の間からちらちらと星が光る様子に心を寄せます。天然のクリスマスツリーです。ささやかなささやかな、わたしひとりだけの、クリスマスの時を過ごすのです。
ところで、わたしはキリスト教徒というわけではありません。でもイエスという人は、まことに神の子というにふさわしい人であったと、心底思います。
そのイエスの誕生を祝う、クリスマス。大きな喜びと同時に、わたしは大きな悲しみに包まれます。イエスの誕生をあがなって殺された多くの幼子の命を思い、その父親、母親の胸が張りさけるほどの泣き叫ぶ声を聞くからです。

※ラマで泣く 声が聞こえる…… かの嘆き 誰思うらむ メリークリスマス

クリスマスの頃、夜空の星を仰ぎながら、わたしはそんなことを思います。小さな星の瞬きが、イエスの誕生をあがなって殺された、幼子たちの命に重なります。そしてその幼子たちの死をあがなうように、およそ三十年の後、イエスご自身、十字架刑の蔑みと苦しみの中で、死を受けるのです。

今回で、今年の記述は終了します。みなさん、良い年をお迎え下さい。


2007.1.5 作業に明け暮れた正月 その一

1日から4日まで、作手の山で過ごしました。今年は天候に恵まれ、1日早々から作業にかかりました。
2007年元旦。昼頃、山荘に着きました。妻と娘は風邪気味。ありがたいことに、うっすらと晴れた穏やかな天気でした。外に立つと、山は静まりかえっています。風もなく、鳥の鳴き声もなく、水の流れが細ほそと聞こえるだけ。
午後の三時から、さっそく2007年の初作業に取りかかりました。まずはシカ対策用に張った防御網の撤去。無駄ではありませんでしたが、労力を考え、今年は止めようかと思います。次は荒れたまま放置していた畑の整理。敷地のど真ん中にある畑といった感じなので、荒れているととても目障りです。中央に朽ちた木が小山のように積んであり、まわりをススキなどがぼうぼうと茂っています。少しばかりの空き地には、アジサイがそこ此処に散らばっています。まずアジサイの剪定から始めました。そうこうしているうちに、すぐに暗くなってしまいました。
夕食は、妻手作りのおせちでした。酒を汲みながら、家族三人、いつまでこうした正月を迎えられるだろうかと、いまの幸せをつくづくかみしめました。いつ職を失うかも知れない生活不安に加え、やがては必ず訪れる死の影が脳裡をよぎります。こんな不安の中の、いっぱいのしあわせです。言葉にはしませんでしたが、内乱状態に陥っているイラクの人々や、饑えに苦しむ北朝鮮の人々にも、思いが及びました。
2日は曇り。午後から雨の予報でしたので、暖かです。8時半から作業開始。東側のガラス戸を囲むように組んだ、格子状の木枠をはずす作業です。山荘を建てた当初、両親の強い意向で用心のために取り付けたものです。それが十五年も経ち、木枠の下部が腐ってしまったので、はずすことにしたのです。もともとわたしは必要のないものと感じていましたので、取り外したらすっきりしました。でも、廃材の処理には困りました。下部こそ朽ちていましたが、おおかたはまだしっかりしたかなりの量の角材です。白いペンキを塗っているので、暖炉用の薪にもなりません。しかも太い釘があちこちに突き出ているままの状態です。釘を抜く手間も大変です。結局、山の中腹にある空き地のひと所まで運び上げ、積み上げ、自然に朽ちるのを待つことにしました。
この間妻は、剪定後の木の枝などを焼却炉で燃やしました。娘は家の中で、松葉湯用の松葉を、小枝から取り集める作業をしました。心身障害で半身不随の娘は、自分になし得る作業ならばいっしょう懸命にします。わが子ながら、感心してしまいます。
昼休みには、ラジオでなつかしい映画音楽を三人で聴きました。「風と共に去りぬ」「エデンの東」「シェーン」などなど。
小一時間休み、降りかけた雨も止んだので作業開始。妻と娘は風邪気味なので、わたしだけ。山荘の基礎をなしている石垣まわりの木草を刈り込みました。ヘビの抜け殻がいくつもあります。この石垣は、ヘビの格好の住処なのです。わたしの背丈より高い石垣なので、こうした作業はこの時期に限ります。夏場など、わたしの頭の上から、ヘビがにゅっと頭を出していたりするのです。四時頃終了。


2007.1.8 作業に明け暮れた正月 その二

3日、朝は晴れ。午後から曇り。八時半から作業。昼の小一時間の休憩をはさみ、夕方の五時まで。一日がかりで、放置していた畑の整理をしました。
畑作をあきらめたのは、三、四年前のことです。それまでは、家庭菜園程度に、耕作をしていました。ところがシカやイノシシに畑を荒らされるようになり、菜園作りはあきらめることにしたのです。加えて、畑まわりに植えたフジや山桜の木などが大きくなりすぎ、菜園を圧迫するほどになっていたのです。とくにフジを植えたのは、完全な失敗でした。地上ばかりでなく地中にまで、蔓がしつこくはびこるのです。結局、フジなど畑まわりの木を切り倒して、畑の中央に小山ほど積み上げ、朽ちるまで放置することにしました。それから三、四年が経ち、今日一日がかりで整理をしたのです。
朝は晴れていて暖かでしたので、妻は昨日と同様、枯れ木を燃やしました。娘も外に出て、わたしと妻との働きぶりを監督です。わたしは朽ちた大木を、山の別の場所に運び、次に畑まわりに茂ったススキや茨、笹などを草刈り機で刈り払いました。さらに菜園の手前にあるアジサイを、奥の方に移しかえました。十数年を経たアジサイですので、大きく広がりすぎ、手前では何かとじゃまになるのです。五株のアジサイを移しましたので、これが一番の重労働でした。最後の二株は、妻の手を借りました。わたしよりも力強く、妻がスコップでアジサイの根元を掘り起こす様子には、驚かされました。
4日は、少々ばて気味。でも朝九時から午後一時まで、昨日に引き続いての作業。このようにして今年は、畑の三分の二ほどを整理しました。広々ときれいになった畑を見て、妻とともに大いに満足をした次第です。(でもシカやイノシシ被害を思うと、結局収穫は望めないかも)
仕事の関係で、5日6日は豊田。7日の日曜は、日帰りで作手に行きました。城山公園の湿地の草刈りを、自然愛好会副会長のOさんと共に行いました。その他作業参加者は、妻、Kさん(豊田から特別応援)、Tさんご夫婦、Iさん。娘の加奈さんは、例によって車の中で監督です。年々人が増えるので、助かります。9時から11時までの2時間の作業でした。
2時間とはいえ、実は大変な作業でした。今年一番の雪だったのです。Kさんと共に豊田を朝7時半に出た頃は、曇りでした。昨日の天気予報では、昼から晴れ。そのうち晴れるだろうと思っていました。ところが9時少し前から雪が降り始め、どんどん積もるばかり。吹雪く雪の中での草刈りでした。
刈り払う草は、主にヌマガヤ。草刈り機で刈り払うのは、Oさんとわたし。その他の人たちで、刈られた草を湿地の外に運び出します。湿地ですので、水が溜まっている箇所もあります。ずぼずぼと長靴がはまります。足の冷たさは、言うまでもありません。草を片づける人も大変です。草が濡れていますので、軍手は水浸し状態。雪は吹雪くばかり。2時間、休み無しの作業でした。
ほんとうに良く、みなさんがんばります。頭が下がります。誰ひとり、嫌な顔を見せません。声を交わす時は、言葉とともに笑顔が返ってきます。わたしにはとてもまねができません。しかも年齢からすれば、わたしも含め高齢者に近い人ばかりです。唯ひとり、特別にボランティア参加してくれた豊田のKさんだけが、47歳です。みなさん、カラダのパワーもすごいですが、ココロのパワーもすごいです。ところで、なぜこうした作業をするのでしょうか。それについては、別の機会に記述しましょう。


2007.1.14 イーハトーブの森

13日の土曜は、日帰りでした。来週は、ほかに予定が入っていますので、作手には行けません。それで、とにかく行ける時には行く、そして作業をする、という気持ちで出かけました。
出かけるさい、近くの和菓子屋さんに立ち寄り、小ぶりのセットを2箱、用意していただきました。作手のお隣に、年頭のごあいさつに伺うためです。山荘を空けることが多いので、なにかのさいには、お世話になるだろうと思うからです。
山荘に着き、さっそくSさんとAさん宅にごあいさつ。その後、農協で草刈り機とチェンソーの修理を依頼。次に道の駅に行きました。とんちん館で、「孫の手」を買いました。年齢のせいか、背中がかゆいことが多くなったのです。自宅にも山荘にもひとつづつありますが、今度は、職場用のものです。竹製のとても愛嬌のある「孫の手」です。
とんちん館では、つい館長さんと話し込んでしまいました。道の駅の運営上の問題点など。ほかに客は誰もなく、館長さんとわたしたち三人家族だけ。思いの丈を、わたしたちにぶつけている感じの館長さんでした。
館長さんとの話の中で、興味深いことに気付きました。作手の冬は、以前は最低マイナス10度くらいになっていたそうです。びっくりしました。誤りではないかと思うくらいでした。それというのも、わたしたち家族は、岩手県の盛岡で暮らしていたことがあり、マイナス10度というのは、その盛岡の冬の気温に近いのです。同じくらいの寒さなのに、まったく冬の風景の印象が違うのです。
盛岡といえば、宮澤賢治です。その賢治の童話に出てくる冬の風景描写は、とても美しく感じますし、同時に盛岡地方独特の冬の文化を感じさせます。ところが、作手には、冬の文化がないように感じます。それを館長さんに話したら、答えが返ってきました。雪国と違って、作手はただひたすら寒いだけ、とのこと。そう言えば、そうです。笑ってしまいました。雪国には、雪に根ざした文化があります。でも作手には、雪はほとんど降りません。降っても、じゃまな程度に降るだけ、との館長さんの言葉。ずいぶんと説得力を持って迫りました。新鮮な発見をしました。
山荘に戻り、昼食の後、2時間ほど笹刈り。向かって東側の日の当たる場所です。妻が、今日は空がきれいだと言います。あらためて見上げると、薄青い空に白い筋のような雲が広がっています。鮮烈な美しさというより、やさしさを感じさせる空です。枯れ木立の上のそんな空を見ていたら、若い頃過ごした盛岡を思い出しました。
わたしと妻と、そして娘が生まれ育った岩手県盛岡の地。ニッポンドリームランドとしての岩手県を、賢治はイーハトーブと名付けました。わたしにとりこの山は、彼の地のなつかしさにつながる、イーハトーブの森です。


2007.2.9 日溜まり

2月3日、山は日溜まりの山でした。地元で洞と呼ぶ、南にひらけた谷地状の地形なので、北からの風がさえぎられ、明るい日差しがさんさんとふり注いでいました。わたしの体調がいまひとつ良くないので、日帰りを楽しむ程度に、昼から三時間ほどを過ごしました。
妻とまず、キクイモを収穫。「道の駅」でOさんの奥さまと偶然出会い、キクイモのおいしい漬け方を教えていただいたばかりです。土を掘り返し、今回漬ける程度を収穫しました。そしてそのあとのくぼ地に、腰ほどの高さに剪定されたケヤキを、3本仮植えしました。このケヤキは、ちょうど2日前の木曜日に、取引先のお客さまからいただいたものです。それを豊田の自宅から、今日持参したのです。山の3箇所に位置を決め、移植するだけの体力がなかったので、手軽な場所にまず仮植をしたのです。
次は娘も加わり、芝草の上で、松葉湯用の松葉を摘みました。まずわたしが、手頃な太さの松の若木を切り出し、芝草の上まで運びます。それを妻が剪定はさみで、松葉の付いた細い枝のところで切り、芝草の上に落とします。その松葉を、今度は娘が箱の中に入れるのです。娘は、自分にもできる作業があると、いっしょうけんめいに行います。ダンボール箱いっぱいの松葉を集めました。一週間分です。妹の家と、妻の知り合いの方にもお分けできる量です。
それが一段落して、休憩。山荘から木の長椅子を持ってきて、芝草の上に置きました。背もたれがないので、テーブル代わりになります。わたしたち三人は、適当な場所に腰を下ろしました。芝草はすっかり乾ききっています。妻が豊田の自宅から持参した珈琲と、まんじゅうでひと休み。暖かい日溜まりの中、熱い珈琲とまんじゅうの甘さが、ひときわおいしく感じられました。


2007.2.12 唐突ですが……。

迷っていました。いつ、この配信を止めようか。始めた当初は、なんの予定もありませんでした。少なくとも、記録代わりに1年は続けるつもりでした。
決心しました。本日、月暦12月25日をもって、配信を止めます。体調を崩し、わたし自身、かなり無理をしているのが分かったのです。問題を抱えすぎてしまいました。
心と体を回復させ、新たな出発を期するつもりです。

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