交響詩 山の週末
第三部 風のスケッチ-2010
佐野喬則
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はじめに
十月に入ったある朝、裏庭のキンモクセイの花がひと夜のうちに散り尽くしていた。前日までは濃いオレンジの花が満開で、あたりに芳香を放っていたのに、まるで狐につままれた気分であった。しばし呆然と見ていたら、なぜか一年前の花の情景がふと思い出され、もう一年が過ぎてしまったのかと、新たな感慨が湧いた。
病の身をおして、わたしの過去の作品をまとめ始めたのは、去年の秋口あたりであった。そしてこの一年の間に、小作品集「AOZOLA」、長編「傲慢」、短歌作品集「山の週末」の第一部、第二部と、まとめあげることができた。顧みると、安堵感にも似た気持ちがふと湧きもする。
この二ヶ月あまり、夏の暑さのせいか、病状がひどく悪化してしまい、とても文章を綴る状況ではなかった。なんとか持ちこたえ、今になりようやく、「山の週末」第三部の編集にとりかかろうと思うに到った。
あいかわらずの鈍くどんよりとした眩暈感に身体衰弱感、そして心痛に悩まされ、病との攻防は一進一退であり時にくじけ泣きたくもなるが、しかしなんとか、僅かながらも、文に立ち向かうことができる。(2014.10.14)
さて、「山の週末」第三部をまとめるにあたり、特に迷いもなく、2010年の一年間の作品をそのまま日付順に並べることとした。従来のものと同様、作品全体の完成度より、わたしの家族の生活記録という面を重視したからである。またこの頃には、すでに「作手郷の風景」と題してブログを再開していたため、前半を短歌、後半をブログ記事からの散文とした。
中心はあくまで短歌である。今読み返すと、当然のことながら欠点が目に付く。詠みが細かすぎる、記述的にすぎるなど。推敲をしてみたところて、わたしの才ではたかが知れている。作品としての評価はともかく、しかしわたしにはやはり懐かしく思われ、くどくなるのは承知のうえで、作品が捨てられなかった。
当時のわたしは、週末の山での心象を、二十首は詠むことを自らに課していた。一日から二日の間に詠み、これを毎週くり返し継続する。このトレーニングは、働いていた当時のわたしにしてみれば、かなり苦痛を伴う体験であった。一種の鍛錬めいた気持ちからであったが、そうして成した作品群をいま読み返してみても、時に、息苦しさを覚えるほどである。しかしそうではあっても、わたしはそれらの作品を受け入れたいのである。わたしたち家族がみんな元気であった頃の、楽しい思い出がよみがえる。(2014.11.3)
……もう一年が過ぎてしまった。山に行かなくなり、すでに一年余が過ぎてしまった。山は荒れているにちがいない。山荘の壁のペンキははげ落ち、庭の草々は伸び放題に伸び、山はきっと、寂しい風景となっているにちがいない。この先、山はいったいどうなるのであろう。わたしがこんな身体では、ただただ嘆き溜息をつくばかりである。……(2014.11)
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