交響詩 山の週末
第三部 風のスケッチ-2010
佐野喬則
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第二章 散文-ブログ記事より-2010
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2010.1.4 雪の山峡
二日の朝、豊田は霧雨。でも午後からは晴れとの予報に、作手の山に向かいました。予報はみごとに外れ、昼を過ぎても冷たい雪曇りの空。早々に帰路につきました。
帰る間際、雪の山を写真にとりました。めったにない機会です。妻と娘を車に待たせ、わたしひとりで三十分ほど山をめぐって写しました。手足が凍えて痛いくらいでしたが、谷をふところにいだいた山の雪景色は格別の美しさ。下手な写真のせいで、表現できないのが残念です。
帰る途中、妻の誕生日だというので、ケーキを買いました。また豊田市郊外の古瀬間霊園に寄り、墓参りをしました。作手の山でとったシキミを供えただけでしたが、墓石に新鮮な緑が映え、それなりの美しさを感じました。
この正月、とにかく作手に行き、雪の山を見、父と祖母の墓参りができただけでも、ありがたいことでした。
2010.1.9 しあわせな床屋さん
九日土曜は、日帰りで作手の床屋さんに行きました。わたしが理髪をしている間、妻と娘は、車の中。日が差していたので、車の中はあたたか。
作手の床屋さんには、もう二十年近く通っています。通う理由は、作手とのかかわりをできるだけ深めたいから。
理髪をしていただくおかみさんは、わたしと同年代。なんでもない世間話をしながら、もう二十年近い歳月が流れました。お子さんたちも、今は結婚をし、りっぱな大人。おかみさんにとっては、すでにお孫さんたちも。ご長男夫婦は、敷地内にログ風の家を新築なさいました。
しあわせなご家族だなあ、とつくづく思います。親から子へ、子から孫へ。脈々と生活が引き継がれてゆきます。わたしたちの家族には、無い幸福です。
おかみさんの、淡々としてあたたかな人柄。しっかりとつむぎ出される家族の絆。床屋さんのしあわせを、しみじみと感じる一日でした。
2010.1.16 やまかけそばと「太陽の賛歌」
この週末、一泊できるかなと、十六日土曜、青い空に期待して出発。でも作手は、うっすらと雪が残り冷たい風が吹きまくっていました。道の駅の客もまばら。いつも立ち寄る豆腐屋さんも、今日は多少寒さが緩みはしたものの、連日とにかく大変な冷たさだと、嘆いていました。
山荘宿泊は断念。またまた、日帰りの作手詣でとなりました。年の暮れからつづく寒さは、二十年来作手に通い、初めての体験です。山荘への入り口に車を止め、日の差し込むあたたかな車内で、、家族三人、熱いコーヒーを飲んで帰路につきました。
途中、食事処「しもやまの里」で昼にすることにしました。いつもは人で混んでいるため、立ち寄ることはありません。でもこうした冷たい日は、さすがに駐車場も空きが目立ちます。何年ぶりかに入り、昼食をとることにしました。やまかけそば二はいと、やまかけそば定食ひとつ。定食につくごはんにおかずを、三人で分けて食べます。
配膳されるのを待つあいだ、それとなく店内を見回すと、そこはミニギャラリーとなっていました。岡崎市など地元の人たちが写した下山郷の写真がずらりと。しかし大きく目立つのは、前田真三氏の北海道の風景を写したポスター写真です。下山と北海道では、頭がちょっと? になりましたが、たぶん氏の写真集に「奥三河」があるからなのでしょう。 もうひとつ目立ったのは、大きくはないのですが、ミロの複製作品が何点かあったことです。ミロ独特の、奇妙なかたちの、よく分からない絵です。三河の風景とは、まったく関係がありません。なぜミロなんだ。そんな思いがしたのですが、ふと彼の「太陽の賛歌」を思い出しました。アッシジの聖フランシスコの詩に寄せて描いた作品群です。
フランシスコの詩は、
神よ/造られたすべてのものによって/わたしはあなたを賛美します。/わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。
と始まり、月、星、風、その他自然事象のさまざまにより、神を賛美する言葉が続きます。
やまかけそばを食べていたら、向かいの席の妻が、今日の空のなんて青いこと、と驚いたように言いました。ふり返ると、なるほど、店内の窓ガラスを透かし、青く広やかに澄みわたった空……、そして白い雲……。感謝と至福のひとときでした。
2010.1.24 のばらのやぶや腐植の湿地
二十四日は、清岳向山湿原の草刈りでした。夏場の草刈りは、湿原周辺の道の草を刈るのですが、この時期は、湿原のなかの、主にヌマガヤを刈ります。刈った草は湿原の外に出し、別の場所に捨てに行きます。わたしは午前中だけの参加でしたが、地元のみなさんは、一日がかりの作業でした。
さいわい天候も良く、気持ちよく作業をすることができました。とくに湿原の真ん中あたりから見た空の色が、真っ青なのが、印象的でした。またそんな空に向かって、やや冬枯れた杉の巨木がいく本か、ぐりぐりとねじ込むように突っ立っているのも、印象的でした。
ところで、宮沢賢治の詩に、「春と修羅」という詩があります。次のように、はじまります。
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲《てんごく》模様
若い頃、この詩を読んだときよく分からず、これが賢治の言うところの心象風景なのだろうと、ばくぜんと思っていました。今でも、理解できないところがあります。それでも、分かったこともあります。たとえば例にあげた出だしの部分です。今では、これが実景をもとにしている表現であると理解できます。湿原の草刈りをしていると、たしかに「のばらのやぶや腐植の湿地」なのです。
次のことばも、同様です。
正午の管楽《くわんがく》よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき
れいろうの天の海には
聖玻璃《せいはり》の風が行き交ひ
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
がんがんとするくらいの気持ちで湿原の草を刈っていると、このように表現された風景が、たしかに実感できます。同時に、賢治の表現力のものすごさには、圧倒されます。いかに賢治が、必死な思いで生きていたかが分かります。あらためて、彼の偉大さを思いました。
2010.1.29-30 消えた記憶
この週末は、久しぶりに山荘宿泊。天候はいまいちだったのですが、気温はそれほど低くなく、先週に引き続き日曜の草刈りボランティアの予定もあり、家族三人、泊まることにしました。
日曜の朝となり、結局わたしの腰痛が直りきっていないため、「愛好会」のボランティア作業は不参加。わたしどもの山の、北尾根付近の不要な木々を切り払いなどして、過ごしました。
昼近く一段落。雨もようとなり、帰路につくことにしました。そのさいふとなぜか、今日の作業、昨日の作業に思いをはせたのですが、昨日の作業が、どうしても思い出せません。きのうの記憶が消えているのです。
どうしても思い出せず、結局妻に、きのうはいったい何をしたのかを聞いて、やっと少しづつ、記憶が戻ってきました。こんな体験は初めてです。妻には笑ってごまかしましたが、これが惚けの始まりなのかと、不安になりました。
こんごの対策を、考えているところです。いろんな要因があると思います。酒の飲み過ぎもそのひとつでしょうが、これは改まりそうもありません。さしあたり、土曜、日曜をふり返る時間をつくり、記憶をたどる訓練をしようかと、思っています。
2010.2.7 光のシンフォニー
この週末はとても寒く、日曜のみ、作手に行きました。行き帰りともに三河湖経由で、すずかぜ・豆腐屋さん・道の駅・農協・山荘の順に立ち寄りました。地元のみなさんの話では、土曜の雪混じりの冷たさは大変なものだったとのこと。わたしたちの山荘宿泊も、年明け以後、ほとんどありません。二十年来、初めての体験です。
寒々とした田原のひろがる単調な作手風景。反して三河湖の風景は、すばらしいものでした。冷たい風が吹きすさぶ中、冬の日を返して湖面の波がさまざまな表情を見せ、まさに光のシンフォニー。湖面をすれすれに飛ぶ鳥の群。たたなわる山々。時々車を降り、その場所ごとの風景に目をこらしました。硬質の美を、しっかりと堪能した一日でした。
2010.2.16-20 新鮮で素敵な四つの出会い
この冬の週末は、寒い日が多く、山荘宿泊がほとんどできませんでした。そのためなすべき冬の作業がとどこおり、仕事を休んで集中的に行うことにしました。十六日から二十日(火〜金)までの五日間、家族三人、作手の山で過ごしました。以下、列記。
まず火曜の午後からは、敷地内の湿地の草刈り。ショウジョウバカマの株が増えていましたので、鹿に食われないよう、まわりに簡単な柵を。その日の夕方までに済ませ、一段落。夜になり、妻に教えられ、オリオン座を見ました。
水曜日は、朝から、わたしどもの山の前の湿地の草刈り。二十年前は、ハルリンドウが咲いたのですが、今は絶えています。回復を期してヌマガヤを刈り、ミズゴケを取り除きました。三年くらいつづけ、回復しなければ、あきらめるつもりです。
朝の作業を済ませ、三河湖に小ドライブ。途中、霊泉で水を補給。ペットボトル20本。昼食は、「香恋の里」でとりました。「香恋の里」では他に客はなく、実にゆっくりと過ごしました。わたしはカレー(肉は猪ですが臭みは気になりませんでした)。妻と子は、おにぎり付きの米粉入りうどん。薪ストーブの近く、木製テーブルをはさんで、楽しく食事をとることができました。店員さんの心づくしの茶もいただき、しあわせなひとときでした。みやげにとクッキーなどを買ったりし、お金もないのにこんなリッチな気分になったのは、はじめて。これが最初の、新鮮な出会い。
午後からは山荘に戻り、ひきつづき湿地の草刈り。このとき、思いがけなく、レンゲツツジの小群落に会いました。まだまだみんな小さな木なのですが花芽をつけ、湿地の奥に広がっています。この春が、こよなく待ち遠しく思いました。このまま保全すれば、十年もすれば、すばらしいレンゲツツジの花群落が見られるにちがいありません。これが第二の素敵な出会い。
木曜の朝は、中休みとしました。仕事が本分なので、休日に作業一点張りという身体の使い方はできません。ちょっとしたドライブにと、家族で善福寺近くの「仏頭岩と雲龍ガシ」を見にゆきました。名前だけは聞いていたのですが、実際に見るのは初めて。想像を超えた、圧倒されるほどの迫力。単に巨岩、巨木というのではなく、見事な造形です。再度、見に来ようと思いました。これが第三の、新鮮な出会い。
午後からは、スズキさんが山荘に来訪。一時間半ほど、いろんな話を聞かせてくれました。スズキさんが帰られてからは、かねてから、エゴノキを活かすため伐採したいと思っていた木、イヌツゲを切りました。枝を払い、片付けなどをして、夕方となりました。
金曜日の朝は、敷地内の山の向かって東側斜面の草刈り。春のキンラン、ミツバツツジ、ワラビなどの自生地です。午後からは、いったん豊田の家に帰宅。土曜の朝、足助のミヤケさんのお宅に寄りました。妻の友人。お宅でみそづくりの予定でしたが、すでに前日タル詰めに。結果、わたしたちの分を受け取るだけでした。けっこうな作業量なのに、あっけらかんとしたミヤケさんの笑顔には、驚かされました。わたしたちには、ちょっとまねのできない善意です。ミヤケさんの笑顔が、第四の新鮮で素敵な出会い。
その後、作手に向かい、「すずかぜ」に立ち寄り、わたしたちの山へ。山では、山荘の西側屋根にかかる木を伐採、片付け。その後、昼食。午後はやばやと帰路に。帰るさい、車を出そうとしたら、妻が、五日前より、梅の蕾がふくらんでいると、言います。見ましたら、なるほど、ちいさいながら、花芽が赤く丸っこくなっていました。
2010.2.27 仏頭岩と雲龍ガシ
先週触れた「仏頭岩と雲龍ガシ」。写真におさめましたので、ご紹介します。
まず仏頭岩。山の斜面に突き出た大岩が、まるで切り取られたような断面。そして中ほどに深い亀裂があるのが特徴です。
正面近くに、位置をずらして写しました。
これが正面から見た全体像。仏頭岩の右上に見えるのが、雲龍ガシ。写真では実感できませんが、いずれもはるかに見上げるほどの高さです。
向かって少し右の位置から。右の黒っぽい木が雲龍ガシ。
雲龍ガシを中心に、写しました。根方のうねり具合は、ラオコーン像を想起させます。
仏頭岩と雲龍ガシ。妻曰く、心が荒んだ時にこの前に立てば、きっと心が休まるだろう、とのこと。なんとなく、同感。不思議に静謐なおもむきがあります。
2010.3.7 マンサクの花
最近、短歌を詠むことが重荷に思われ、なにかの参考にと、ネットで短歌サイトを辿っていたところ、ちょうど今の季節の、マンサクをうたった作品に出会いました。すなおでおおらかで、ほっと心なごむ趣きがあり、女性ならではのやさしくあたたかな詠みぶりに、同じ短歌作者としてうらやましく思いました。
さて、作手の山のマンサク、花はすでに散りがたになっていることでしょう。先週末の土日は二日続きの雨で、山荘には行きませんでした。
■かの山のマンサクの花散りたるや昨日も今日も雨に籠りぬ
2010.3.13-14 早春の野草摘み
十三日の土曜は、野草を摘んで過ごしました。毎年この季節になると、木和田の集落に行ってツクシやノビルを摘みます。今年は加えて、ヨモギを摘みました。やはり時期が少し早すぎたようです。ツクシは出始めたばかり。ノビルの白い玉は、まだ小さめでした。山荘に戻ってからは、さらにノカンゾウを摘みました。
ツクシは卵とじ。ノビルにノカンゾウは酢みそ和え。ヨモギは草餅用に冷凍保存。わが家の定番の調理法です。夕餉の酒の肴にもピッタリ。この季節、この味のなつかしさ。年に一度や二度は、食べたくなります。
ところで調理法と同様、摘み頃も人それぞれの好みがあるようです。たとえばツクシ。わが家の場合、以前は穂の胞子が半ば抜けほほける少し前のものを摘んでいました。それが十年くらい前に、ある方から、ツクシの穂の胞子が抜けていないものが、肝臓に良いと聞かされました。それ以来、穂の青く固まったツクシを摘むようになりました。今では、穂の部分の苦みをおいしいと感じます。
さて野草を摘むのは、菜にするという実用性からだけではありません。それだけでなく、季節の恵みをいただく楽しさ、そして家族みんなで野に摘む楽しさも大いにあります。これからしばらくは、野草を摘んだり木の芽を摘んだり、しあわせいっぱいな春の季節となります。
2010.3.20 再びツクシ摘み
二十日の土曜は、先週に引き続き再びツクシを摘みました。場所は下山の和合地区。作手の山荘に向かう途中の、山なかの里です。山々に囲まれた、やや広めの棚田の土手。先週の木和田同様、わたしたち以外にツクシを摘む人もなく、あたたかな日差しの中、妻とともにツクシ摘みを楽しみました。
摘んでいるさなか、つくづく感じたのは、里山風景のうつくしさです。ちゃんとした文章にはできませんが、短歌に詠むため、メモしたものがありますので、参考までに列記しましょう。ちなみに先週の木和田地区も、20首ほどの歌にまとめました。
クロモジ/ウグイス/光り透く黄の色//日当たる岩の苔に咲くすみれ/むらさき//白梅/道を少し離れて/ありふれて/ツクシ/急斜面の土手/イヌノフグリ/萌え草みどりの青い星/ゆるやかな棚田/田おこし/春かすむ山/堰の水/ゆるやかな流れ/光る水/ゆらゆらとあるいは小刻みに/そよ風/遠くで鳴く鳥/
さてこうした里山風景の美しさは、地元のみなさんが自主的に田畑や家まわりを管理していることで、保たれています。都市近郊での税金を使用しての草刈りなどとは異なり、いわば自立した精神によって、風景美が保たれています。このシステムは、財務状況の厳しい日本の今後を考えるうえで、いろんな意味でとても参考になるのではないかと、思います。
2010.3.27-28 遅い春
ひといきに暖かくなるのかと思ったら、いきなり寒くなりました。標高550メートルの作手の里では、氷さえ張ったとのこと。山荘のめぐりの花も、一週間前とあまり変わりません。新たにコスミレがいくつか、花を咲かせていました。遅い春の歩みですが、確実に春が近づいています。
先週、下山の和合地区でのツクシ摘み風景をメモし、それを記事にしました。短歌に詠みましたので、ご紹介します。
(下山和合地区)
黄の色に花霞すると見ゆるまでクロモジは咲く山あいの道
艶持てる細きみどりの枝々に黄なるクロモジの花咲き匂う
黄の花のクロモジ仰ぎ立つ山路遠く鶯のさえずり聞こゆ
遠近く谷山を渡る鳥々のさえずりは澄み空にひびけり
朝の日の山の茂みを透かすとき黄の花輝くひとところあり
古岩の乾ける苔ゆ生い出づる花はスミレか濃きむらさきの
古岩の苔より生うるむらさきの花はスミレか指もて触るる
去年(こぞ)のごと今年もツクシ摘みに来ぬ日当たりの良きこの草土手に
草萌えのみどりが中の小さき花イヌノフグリは地をうずめ咲く
地をおおいてイヌノフグリの咲くを見れば心おさなく星を想えり
うらうらと日のふる土手にツクシ摘む老いたる妻と和合の里に
そよ風は老いたるわれの身にも吹きしばしを吹きて過ぎてゆきたり
かく老いしわが身に吹けるそよ風を愛(かな)しみにけり心若やぎ
草土手の低きへと下る水路ありさざれ波立ち水滑りゆく
ひかりは揺れ水はゆるやかに流れゆく土手の下なる水路の堰を
ツクシ摘む土手に見おろす棚田広く谷の向こうに檜(ひ)山はそびゆ
詠んで間もない今は、正直、物足りなさを感じます。でも年月を経て読み返してみると、けっこう良い思い出になるのではないでしょうか。作手の山荘風景を中心に、週に二十首以上を目標に詠んでいます。少々苦しんで詠んでいますが、これからも可能な限り、続けてゆこうと思います。
2010.4.3-4 いきなり冬なみの寒さ
寒暖の差の、激しい日が続きました。特に三日の土曜日は、作手特有の寒風が吹き荒れました。農協に立ち寄り、買い物。その後、妻がツクシとメダカを採りたいというので、城山へ。妻が採っている間、わたしはひさしぶりに城山にのぼりました。樹齢百年を超す木々を見て回り、あらためて城山の魅力を思いました。いつか城山を、短歌連作に詠んでみたいものです。ツクシはほほけ、メダカは残念ながらとれませんでした。
さて山荘についたものの、寒さのためとても外に出て作業をする気にならず、もっぱら昼寝と読書で過ごしました。午後の三時からは理髪にでかけ、良い時間つぶしになりました。四時半頃帰り、山めぐり。ヒュウガミズキとあちらこちらの水仙が盛り。桜の花芽はまだまだ固そう。シロモジが咲き始めています。がっかりしたのは、タムシバの花が、寒さのせいで、萎えてしまっていたこと。白い清楚な花とかぐわしい香り、来年に期待したいものです。夜は妻娘ともに湯たんぽを入れて、眠りました。
四日の日曜は、そこそこの寒さ。朝のガラス窓をとおし、木々をわたり飛ぶ小鳥たちを観察。動くものを見るのは、なんともおもしろいものです。九時からは作業。東の山の中腹に山百合の芽が出始めましたので、鹿除けに囲いをすることにしました。日だまりの地形なので、娘を連れだし、椅子に腰掛けさせ、わたしと妻は、周辺の草刈りと囲い作業。
十一時ころ山荘を出て、道の駅に。豆腐を買い、ほかほかの豆乳を。とってもおいしいこの豆乳を飲むと、身体が浄化されるようで、いつも幸せな気分になります。その後ひさしぶりに「とんちん館」に。他に客も少なく、Sさんが気軽に応対してくださいました。楽しい鳥の巣箱談義。わたしは鳥については、知識ゼロに近いので、話を聞くだけでも、楽しく思います。
農協に寄ったあとは、岩波のしだれ桜を見にゆきました。花芽がほんの少しほころびかけて、来週が見頃かと。来週ぜひもう一度、訪れるつもりです。
2010.4.10 老い爛漫の出会い
十一日の日曜日は、自宅の在る豊田市自治区の環境美化の日。そのため作手行きは、土曜の日帰りにしました。実は、日頃の度の過ぎたアルコールのせいなのか、体調が悪く気乗りがしなかったのですが、天候が良かったのでとにかく出かけることにしました。いつもそうなのですが、行く前にはあまり期待することなく出かけるのに、必ずといっていいくらい新しい感動があります。今回は、いろんな人と思いがけなく出会えました。
その一。「しもやまの里」に立ち寄ったさい。なんとなんとヤマカワさんご夫婦と息子さんにばったり。息子さんは、わたしの娘と同じ豊田市内のデイサービスを利用しています。わたしたちと同様、休日にはできるだけ親子でどこかに出かけるそうです。心身不自由な子をかかえた親ごさんに、多く共通した休日ドライブです。奥三河方面にもよく出かけるとのこと。いつかわたしたちの山にもとお誘いし、別れました。
その二。和合の里の花屋さんに寄ろうとして山道を走っていたら、実に見事に咲き盛るミツバツツジに出会いました。棚田の向こうの山の斜面に、小山をなすほどこんもりと咲いています。あまりの見事さに妻と車を降り、犬を連れて散歩している老人に尋ねてみました。老人によれば、こどもの頃からすでにあの大きさだったとのこと。むしろ老木化して小さくなったようだとも。昔はそのツツジが咲くのを合図に、田仕事を始めたそうです。話を聞いていると、「わしは今年で九十だけれど」、という言葉に妻とともに再度びっくり。かくしゃくとしていて言葉もはっきり。七十代くらいにしか見えません。まじまじとその老人の温顔を見つめ、どうしたらこのように老いることができるのかと、人間のすばらしささえ、思いました。さて計算上ツツジの樹齢は、百年はゆうに越えます。そんなツツジは今まで見たことがありません。ツツジと老人。なんといってもこの出会いは、今回のハイライトでした。
その三。三河湖の「民宿やまびこ」で樹齢数十年であろう大ぶりのミツバツツジを見かけ、車を止めました。そのさいに、六十代と思われる男性に道を聞かれました。新城から作手に抜け、これからの観光スポットとして、どこが良いかというのです。鳳来、足助にはもう何度も足を運んでいるとのこと。地図を手に、あれやこれやと話をし、足助のカタクリのことも。いろんな場所を見巡っている口ぶりに、ついでにミツバツツジのことを尋ねて見ました。「やまびこ」のツツジを示し、あのようなツツジの古木をほかで見かけませんかと聞くと、男性曰く。ツツジってなに? 花の違いは桜くらいしか分からない、とあっけらかんとした返事。これには唖然としました。じゃあこの男性、鳳来や足助をめぐって何をみているんだろう。人の良さそうなその男性の顔を見ていたら、つい吹き出してしまいました。世の中、実にさまざまな人が居るものです。
その四。昼頃訪れた岩波のしだれ桜は、もう散りがたになっていました。寺を背に腰を下ろしている老人が三人いました。じいさんを中にばあさんがふたり、しだれ桜の花影に。まるで仲良し小学生の三人が居るようです。話しかけると、地元の人らしく、しだれ桜について、いろんな話を聞かせてくれました。古木に見えるけれど、せいぜい百数十年の樹齢。何十年か前まではほったらかしで、蔓にからまれて花が窒息状態に陥りほとんど花が咲かなかったとのこと。ある年ある人がその蔓を取り除いたところ、その春は最高の花盛り。以来見事な花をつけるようになったそうです。でも根回りにアスファルトが張られてからは、花に勢いがなくなったとのこと。さらに今は、キツツキが樹木のあちこちに穴を開けていて、いずれ枯れるだろう、と言います。愛着があるのやら無いのやら、淡々とした話しぶり。寺としだれ桜と翁ひとりにばあさんふたり、なんとものんびりとした春うららなふんいきでした。
2010.4.17-18 母の花見
十七日土曜日の夕方、オオタ屋さんに行き、黒瀬地区の春祭りに、地酒を一升届けるように頼んで来ました。まだ母が元気な頃、山荘に一時期住んでいたため、それ以来、地元の人たちと交流を持つようになりました。偶然、オオタ屋さんで酒を飲んでいた老人が母のことを知っていて、なつかしい話を聞くことができました。その母も、今は胃ろうの身。妹家族がめんどうを看ています。
十八日は、妹と姪のはるかさんに連れられ、母が山荘にやってきました。何年ぶりかです。胃ろうで車椅子生活の母なので、こんな機会はめったにありません。春らしく暖かな気候で、山荘のある山は桜の花が満開の、最高の花見日よりでした。
母の車椅子を押し、山の一部をめぐりました。桜はなんといっても、まずヤエベニシダレが見事です。次ぎに種は分かりませんが、サトザクラの一種。さらにシダレが二本。これらは母と、今は亡き父とが苗木を買い、植えたものです。二十年経て見上げるほどになりました。「お母さんたちが植えた桜だよ」と言いましたら、話すことができない母は、分かったのか分からないのか、じーっと視線を送っていました。
母を山荘に戻し、妹を山に案内しました。ヤマザクラ、カスミザクラなど自生の木や花、あるいは植えた木草を説明。携帯で写真をしきりに撮っていました。植物の名もそこそこに知っていて、ああ妹も歳なんだなあと、妙な感慨。年齢を重ねるごとに、自然のさまざまに興味がわくのでしょうか。
山荘で、母の胃ろう処置。その間、わたしたちは昼食。窓からシダレザクラの匂うばかりの花を間近に見ながら、楽しい語らいのひととき。午後からは、妹とはるかさんは、折りたたみ式の自転車を取り出し、庄の沢湿地にサイクリング。
帰り際、母が押し花にするというので、妻、妹、はるかさんとで花を摘みました。黄の花、白い花、赤い花。小箱にいっぱい摘みました。みんな楽しそうに摘んでいる様子に、わたしにはとてもできないことだなと、思いました。一時期、わたしは徹底的に親を憎んだことがあり、わたしと親のあいだには、埋めがたい心の溝があります。そうした心の溝を補ってくれる彼女たちに、心の中で感謝しています。
2010.4.24-25 恩人を山荘に招待
先週末は、渡辺さんを山荘に招待。常滑のお宅まで、送り迎えをしました。彼女は、妻の従姉にあたります。八十歳に近い高齢の彼女ですが、今も女傑といってよいくらい元気で、眠っていない限りは豪快に語り続け、全身言葉のかたまりといった感があります。若い頃は柔道、空手などに明け暮れ、男性にまさる荷を負って登山をしていたほどです。
いつかご招待をと、思っていたのですが、互いのいろんな事情のため、なかなか実現しませんでした。今回やっとお連れすることができ、わたし自身の心の荷が、ほっと軽くなったような気がしています。心配していた雨も前日にあがり、土日は絶好の行楽日より。山での二日間を、充分楽しんでいただきました。
彼女は、わたしたちにとっては、恩人になります。山を購入するさい、実は彼女から大金を借りたのです。よほどの信頼関係があったとしても、かなり躊躇するほどの金額でした。仮にわたしが貸す側の立場であったとしたら、とてもできなかった金額です。それをなんのわだかまりも見せず、あっけらかんとした調子で引き受けてくれたのです。
彼女の存在がなかったら、山を買うことはできませんでした。わたしたち夫婦も、一生懸命にはたらき、五年ほどかけなんとか返済することができました。また山荘を建てたさいには、彼女から冷蔵庫、洗濯機、掃除機、暖房ヒーターをプレゼントされました。渡辺さんのご恩は、決して忘れてはなりません。時々、これら二十年前のことを、わたしは思い返しています。
花の山をご案内し、ワラビを摘んだり、妻・娘・彼女ともども、春のうららかな光のなかを歩みました。
2010.5.1-5 極楽地獄はこの世のもの
いつか或る方が、自らの体験をもとに、極楽地獄はこの世のもの、と語っていました。会社経営をしていた人で、お金の有る無しに関わる、極端な体験からの言葉のようでした。わたしはあまりお金には縁がありませんが、極楽地獄はこの世のもの、という言葉には頷けます。
極楽地獄は、そうした信仰を持つ人々にとっては、死後の世界を指しています。しかしわたし自身の体験からすれば、極楽地獄は、まさに現実世界に存在します。この世が地獄であると思うほどの辛い体験はありませんが、極楽は体験しています。もう十年くらい前のことになるでしょうか。
極楽というより、あるいは浄土と表現すべきかも知れません。自分がまさに極楽浄土に居る、と思う神秘的なひとときを体験したのです。それは、作手の山にひとり佇んで居たときのことでした。わたしの心が一瞬のうちに反転し、ひらかれ、光や空や山々が、木草や花が喜びの声々を発し、すべてが命あるものとして揺らぎ輝いて見えたひとときでした。日常の美しさを越えた美しさ。わたしは、ああ天国極楽とはこのような世界を指すのだと、思いました。
ちょうどこの連休のころ、山荘のある山は、一年でもっとも過ごしやすくまた風景の美しい時期です。特別な神秘体験でなくとも、極楽浄土の世界はこのようなものだと、今のわたしは思います。わたしの尊敬する師の歌に、次のような作品があります。
子らもわれも すこやかにして 五月なり チゴユリ咲けり ユキザサ咲けり
この歌は、そのまま今のわたしたち家族の姿であり、また風景でもあります。わたしにとっては、この現実こそ、このうえない天上の幸福にほかなりません。
2010.5.8-9 木を植えた男
偶然には、不思議な力があります。十数年前の、山荘を建てた前後の頃だったと思います。妹家族に誘われ、豊田市民の家「リゾート安曇野」に宿泊しました。そのさいに「安曇野ちひろ美術館」に立ち寄ったのです。わたし自身は、いわさきちひろに関心があったわけではありません。妹家族の計画した観光の場所として、立ち寄ったに過ぎません。
ちひろの作品が理解できないわたしは、美術館内の図書室で、棚にならんだ絵本を、手にしたりしていました。そうして、「木を植えた男」に出会ったのです。帯のコピー、「フランスの山岳地帯にただ一人とどまり、荒れはてた地を緑の森によみがえらせたエルゼアール・ブフィエの半生」…。当時、わたしたちは作手の山で、まさに木を植えていた真っ最中。ひといきに、その絵本を読んでしまいました。
わたしたちは、絵本の主人公とは異なり、人のために木を植えたのではありません。それでもその本を読んだとき、同じように木を植えているんだという感動を覚え、励ましを受けたものです。主人公のブフィエには深い親近感をいだきました。まったく偶然の出会いにもかかわらず、その絵本は、わたしたちへのプレゼントだったのです。
この連休から週末にかけ、わたしと妻とは、やはり木の植え替えに追われました。二十年経ち、地肌むき出しだった山は、いまでは緑あふれる山。スコップで穴を掘り、木や花を植えあるいは植え替え、水をやる作業は、父や母の分までふくめると、おそらく数千回になるのではないかと、思うほどです。
もちろん、山自身が持つ生命力によって、山の緑が生き返ったことは、言うまでもありません。わたしたち家族がなした作業など、山自身が持つ生命力に比べたら、ひとかけらほどのものでもありません。でもわたしは、これでよかったと思います。木を植えることで、わたしたちは楽しい夢を見ることができました。そしてその夢が、いま現実となって、春の花たちとなり、わたしたちの目の前に広がっているのです。
2010.5.15-16 山でなにをしているの
ごくまれに、仕事関係の方に、作手の山について話すことがあります。自然食品を扱う会社なので、環境問題に関心を持つお客様が多いのです。わたしが毎週山に行き、手入れ・管理をしていると言いますと、ほとんどの方が、家庭菜園で無農薬野菜などをつくっているものと、思われるようです。ときには、副業として林業の間伐をしているのかと、聞かれることもあります。
残念ながら、わたしたちの山は、そのような生活に密着したものではありません。自生する木や花の種をゆたかにするために、わたしたちは手入れをしています。手入れをする上での留意点は、風景の美しさ。であれば、ガーディニングと言えば分かりやすいのでしょうが、ガーディニングのイメージともまったく異なります。庭ではなく、山なのですから。
めずらしい山野草を集めているわけでもありません。あるいは、特定の種のさまざまを植えているのでもありません。またある種に限り、群生地をつくっているわけでもありません。たぶんそうしたほうが、他の人々には理解しやすく、注意をひき、魅力的に映るのでしょう。わたしたちの山は、平凡と言えば、平凡な山です。昔どこかで見たような、そんな風景の山です。でも現実には、どこにもないなつかしい風景だとも思います。
先週末の作業は、ウワミズザクラのめぐりの木々を伐採しました。ウワミズザクラは、この時期、白いブラシ状の花をつけます。木を大きくしたいので、迫っているまわりの木々を切りました。さらに前の週末には、タムシバのまわりの木を切りました。コブシに似た花が咲き、良い香りのする香木です。こうして手入れをしたウワミズザクラやタムシバが、さらに大きく成長するのが、楽しみです。
2010.5.22-23 作手村誌・本分編
作手村誌・本分編が完成したと、Оさんから連絡があり、日曜日に本を受け取りに行きました。A4版で八百ページを超す大著です。四百字詰め原稿用紙に換算すると、二千枚を超えます。旧作手村の全体像が、この一冊で理解されるでしょう。第一編、自然。第二編、歴史。第三編、行財政。第四編、産業。第五編、教育。第六編、民族・文化。
平成十八年の作手村政百周年記念事業として、計画、編纂されました。平成十四年から八年にわたる歳月を費やし、今年三月三十一日付けで発行。この間平成の大合併により、平成十七年には新城市に合併。作手村の名が消えただけに、いわゆる部外者であるわたしにとっても、感慨ひとしおのものがあります。
飾り気のない、あたたかな文体は、三十数名の編集委員のみなさんに共通し、とても読みやすい本となっています。また生活に密着した執筆内容でもあり、この点でも、心惹かれるものがあります。たださすがに八年を要した大著だけあって、簡単に読み通せる量ではなく、今後少しずつ読ませていただくつもりです。
ただただ感心させられるのは、編集委員のみなさんの情熱です。あとがきによれば、意思統一をはかるため、各部会の代表者による「代表者会」を百回以上も開催し、さらに代表者から各委員への内容伝達も、徹底をはかったとのこと。村人口三千人にして、この偉業。旧作手村民の文化的底力を痛感します。
2010.5.29-30 オオスズメバチ群飛来
なぜか今年は、オオスズメバチがたくさんやってきます。体長が四、五センチもあり、まるで軍艦が飛んでいるかのようです。わたしも妻も、あたふたと騒ぎ立てることはありませんが、近くに飛来されるとさすがに危険性を感じて身を低めます。オオスズメバチに刺されて、毎年何人かの死者がでるほど危険な蜂です。
今まで、わたしたちの山ではオオスズメバチは見かけなかったように思います。ふつうのスズメバチには、何度も巣をつくられました。それが去年、パタリとスズメバチが居なくなりました。安心していたところ、今年のオオスズメバチです。オオスズメバチは、土の中に営巣するといいます。それらしいものには、まだ出くわしていませんので、あるいは他の山から飛来するのかも知れません。
トラップをつくりました。合成酒と酢と砂糖を混ぜた液を、ペットボトルに入れて木につるします。吊したはなから、オオスズメバチが入ります。先週ふたつ用意したものが、一週間の間にいっぱい捕獲されていました。捕獲状況を見て、今後もつくり続けるつもりです。なお、トラップに入るのは、たいていはスズメバチとオオスズメバチです。どう猛な蜂なので、かなりきつい味と匂いを好むのでしょう。
家の中にも入ります。ログの隙間から、いくらでも入ることができます。もっとも集団で入るわけではありません。紛れ込んだ程度で、ときどき一匹が天上あたりを飛んでいます。ハエ叩きでたたいてやるか、殺虫剤で殺します。昆虫界の食物連鎖の頂点に立つといわれるオオスズメバチ。生物多様性保持のためには、それなりの存在意義があるそうです。まあ学問的にはそうかも知れませんが、とにかく刺されたくはありませんね。
2010.6.5-6 ササユリがつぼみを
ササユリが十本ほどつぼみをつけています。つぼみをつけていないものまで含めると、三十本くらいでしょうか。一気に増えました。二年前くらいに、鹿除けのネットを張り巡らしたのが功を奏したようです。
その場所には毎年、三四本のササユリが咲いていました。そのササユリを守ろうとしたわけではありません。同じ場所にあるシュンランが鹿に食われ、ほかにヤマイワカガミなどがあるため、それでネットを張ることにしました。
去年の時点で、ササユリの株が増え始めたことに気づきました。でも茎葉も小さく、花が咲くまでには、まだまだ年数がかかるだろうと思っていました。それが今年は、いきなり花十本。来年が楽しみです。
わたしどもの山はもともと、ササユリの群生地でした。百株以上はあったと思います。それが或る年を境に、パタリと咲くのが見られなくなりました。今から思えば、猿か猪に球根が食い尽くされたのでしょう。十五年ほど前のことです。
さてせっかく増え始めたササユリ。なんとか守りたいものです。トタンをめぐらすのが、もっとも確実だと聞きました。でもさすがに見た目が……。結局、防護ネットを二重に張ることにしました。先週末はこの作業をして過ごし、あとは猪などに荒らされないよう祈るばかりです。
2010.6.12 ひそやかな花たち
五月の山は、若葉の中のツツジに象徴されるように、一年でもっとも華やかな季節です。そののち六月に移る頃、山の花はひとときの休息を迎えます。自生する花の代わりには、二十年前に植えたフランス菊が、山路のあちらこちらに咲き誇ります。
そして梅雨に入る頃、山の花たちはふたたび咲き競うようになります。ただし、ひそやかに。この時期の花の色は、ほとんどが白。花の形はといえば、たとえばガマズミは小花を集めた質素なイメージです。足もとに咲くユキノシタも、はかなげです。
ドクダミも咲き始めます。白い花も葉の形も単調。匂いを嫌う人すらいます。わたしはなぜか、ドクダミの花になつかしさを感じます。子供の頃は、葉を揉んで傷口につけたりしていました。十薬と呼ばれるほどの薬効があるとのこと。
ドクダミは別として、この時期の花には、甘い匂いを持つものがあります。散りがたになったエゴノキ、かなり濃厚です。スイカズラ、ほのかに甘く。湿地周辺に咲くタンナサワフタギはほどよい甘さ。甘い香りを放ち、虫たちを誘っているのでしょう。
2010.6.20 自然と人為環境
二十日の日曜は、日帰り。ドライブがてら、家族三人で作手にゆきました。山荘のめぐりの山は、梅雨時そのものの風景。湿気を含んだ重々しい緑が、山全体をおおっていました。時間があれば、草刈りをする予定でしたが、床屋さんに寄ったため、今回は中止。来週からは、草刈り最優先。草刈り、草刈り、草刈りに追われます。
こんなふうに木草が繁茂するようになったのは、印象として、十年ほど前からです。草の伸びが早くなり、放っておくとすぐにジャングル状態。温暖化の影響を実感します。以前は夏期低温多湿の風土と言われた作手ですが、今は夏期高温多湿の作手と言わざるをえません。地球温暖化は、もっとも身近な環境問題です。
ところで環境と言えば、自然環境という言葉がすぐに浮かびます。でも作手の山で過ごすわたしには、人為環境とでもいうか、そんな語が浮かびます。温暖化もそのひとつ。そして長ノ山湿原近くのサーキット場の騒音。モータースポーツなどと言っていますが、他人には迷惑以外のなにものでもありません。さらに誰が捨てるのか、ゴミ問題。
ずっと以前、作手のMさんが、作手にはあまり人が来ないでほしい、と言っていました。静かで植生豊かな自然環境と、家の鍵をかける必要のない治安の良さ。町では味わえない風土が、二十年前にはありました。でも今は、もはやそうしたものはありません。かつてのなごりの風景が、かろうじて残っているにすぎません。
2010.6.27 ほっと心のなごむ作手行き
前回、作手の人為的な不良環境として、温暖化、モータースポーツ、ゴミ問題をあげました。一見ばらばらの事柄に見えますが、実は共通項があります。それは化石資源の大量消費がもたらしたものだということです。
どれもひじょうに身近な問題ですが、同時に地球規模の問題でもあります。また歴史的、人類的な問題でもあります。19世紀の産業革命により、化石資源の大量消費が可能になりました。戦争の世紀といわれる20世紀は、化石資源の大量消費を加速させました。
そして今、21世紀は、化石資源の大量消費による環境破壊問題に直面しています。また水や森林、あるいは生物資源など、激減をしている天然資源をめぐっての国家間のあつれきも表面化しつつあります。産業革命から現代及び近未来にわたる三百年は、人類史上おそらく未曾有の大転換期にあたるのではないでしょうか。人類の自己崩壊という言葉すら、浮かびます。あるいはグリーンニューディールの言葉に象徴されるような、理想的な社会が創られるのでしょうか。これらの問題に対し、わたし自身は、むろん無力でしかありません。
まあこんなことを思いながら、作手の山の手入れをしています。森のササユリはすでに散りがた。湿地のノハナショウブも、花の盛りをやや過ぎています。草の間には、カキランやウツボグサが。カキランは黄の色、ウツボグサは淡い紫。どちらもゆたかな存在感。そのほかウメモドキの小花など。シジミやヒカゲの蝶たち。梅雨曇る二十七日の日曜日、異常に蒸し暑い山でしたが、ほっと心のなごむ日帰りの作手行きでした。
2010.7.4 とっても疲れた一日が反転大収穫の一日に
先週、先々週に引き続き、またまた日帰りの作手行きでした。来週も都合があり日帰りの予定です。三日の土曜日は雨。四日の日曜日朝は、豊田では小雨。天気予報では曇りになるとのことで、家族三人、出かけました。毎年この梅雨の時期は、一ヶ月以上、日帰りが続いたりします。主原因は雨、そのほかわたし自身の疲れなど。
四日八時からは、作手自然愛好会メンバーによる、湿原周辺の草刈りでした。実を言えば腰を痛めていたため、気が乗りませんでした。といっても言い訳に過ぎず、朝五時半に起床、六時半、妻子とともに出発。八時少し前に、山荘に到着。草刈り機を用意したりして、鴨ヶ谷の現場には八時半頃、つきました。休日なのに、仕事日並み。日帰りの辛さです。
草刈りボランティアは、わたしの場合、午前中だけの参加にしています。妻と娘の生活スケジュールに合わせるためです。地元のみなさんは、昼食をともにし、午後からも必要があれば諸作業、あるいは会合などで過ごすようです。この日の朝の草刈りは、割合に早く済み、十一時半頃には山荘に戻ることができました。
ふだんなら、山荘でごろりと休むところですが、なんと妹と甥のかける君が、胃ろうの母を連れてきていました。前日、来るとは聞いていたのですが、この時期、この天候で、半信半疑。びつっくりしました。昼食を中に、三時間ほど、実に密度の濃い時間を過ごしました。山には不思議なくらいさわやかな風が吹き、シャラの花が涼しげに咲いていました。時には青空も。
妹たちが帰ってからは、某所で初めて見た花をОさん宅に届け、作手農協で買い物をして、帰路につきました。車は、とにかく事故だけは起こさないように運転。午後の五時過ぎ、自宅に着くや即、応接の板の間に倒れこむように寝ころび、小一時間ほどを眠りました。これほど疲れたのは、ほんとうにひさしぶりです。
さて鴨ヶ谷湿原では、群生しているクサレダマが咲き始めています。草刈りをした道からま近く見ることができます。二週間くらいは見られるのではないでしょうか。その後に行った向山湿原は、とくに花なし。特筆すべきは、Оさん宅に届けた作手内某所の花。六日夕方、Оさんから電話がありました。作手においては新発見とのこと。ホソバノヤマハハコ。それを聞いただけで気分は浮き立ちました。
とっても疲れた一日が、結果として、反転大収穫の一日になりました。
2010.7.10 花鳥風月の里山
例によって、家族三人作手には行きましたが、あいにくの小雨。山荘にも入らず農協にて買い物。あらためてホソバノヤマハハコを確認したりして、帰路に。
さて今回は、作手とは直接関わりありませんが、或る講演会について少し書きます。話は前後します。
三日の土曜、柳生博さんの講演、「花鳥風月の里山」(朝日新聞社主催・愛知工業大学にて)を聴きに行きました。日本野鳥の会会長。「人間と自然の仲のいい風景」を説き、山梨県大泉町で「八ヶ岳倶楽部」を運営しています。
わたし自身にとっては、充分に満足する内容でしたが、会場ではちょっと気になることがありました。それを朝日新聞の「声」欄に投書したところ、今週十六日の金曜日の朝刊に掲載されることになりました。
■以下、朝日新聞「声」欄採用の原文。
夢の森は、どこにある?
「花鳥風月の里山」(朝日新聞社主催・愛知工業大学にて)と題した公開講座に参加した。講師は柳生博氏。日本野鳥の会会長。「人間と自然の仲のいい風景」を説く、氏のソフトな語りを堪能した。だが、聴講者五百名弱の会場に、妙な違和感を覚えた。
若者がいないのである。会場のどこを見ても、老人ばかり。どこか疲れ気味で、会場に熱気がない。柳生氏は、木を切り、草を刈りして森を再生する大切さを語った。しかし会場を見わたす限り、そうした体力・気力とは、無縁の人々のように感じられた。
また柳生氏の講演内容と、それを聴く人々の、立場と意識の隔たりも感じられた。氏の管理する「八ヶ岳倶楽部」は、広大な敷地の一画にある。柳生氏の説く「森に手を入れる」大切さは理解できても、一般の人々には、そうし得る森がないのである。あるいは森を手に入れる富がない。
会場には、残念ながら若者たちの姿は見かけなかった。しかし、子どもたちを森で遊ばせたい、そう願う若い夫婦もいるのではないだろうか。老若男女が、森を手入れし森に遊ぶ。そんな夢の森が、どこかにないものだろうか。
2010.17-18 作手郷の一地域を里山公園に
今日七月二十一日、豊田・名古屋の暑さは、まさに猛暑。炎天にさらされていると、頭から火が出そうなくらいでした。記録上はともかく、街中は40度近くあったのではないでしょうか。この暑さは明日・明後日も続くとのこと。熱中症に要注意です。
さて前回、わたしの投書文が、朝日「声」欄に掲載予定であると書きました。掲載されたのですが、タイトルが変えられていました。「夢の森は、どこにある?」から「森に遊ぶのもぜいたくな時代」に。一般には、確かに分かりやすい表題です。ただわたし自身、あるいはわたしを知っている人にしてみると、ちょっと苦笑せざるを得ません。山でのわたしたちは、贅沢とは無縁です。わたしの投書の本意は、以下のとおりです。
投書文の末尾は、「老若男女が森を手入れし、森に遊ぶ。そんな夢の森がどこかにないのだろうか」というもの。これが先週金曜日の朝に掲載されました。そして次の土曜、朝日朝刊で、「夏休み特集・つながっている命と命」と題して河合雅雄氏の文が掲載され、生物多様性に富んだ里山公園が紹介されていました。つまり、わたしの問いに暗黙裏に答えるよう、記事が掲載されているのでした。
「花鳥風月の里山」と題した柳生博氏の講演は、実際に山を管理しているわたしにとっては楽しく聞くことができました。でも多くの人は、山や森を所有しているわけではありません。森を手入れする楽しさや大切さを理解できても、人々が継続的にそれを体験することはできません。購入はむろん、山を借りることさえ、現実問題不可能といってよいからです。自然林に近い広大な山や谷、水の流れ等が必要だからです。またそれを管理する知恵、知識、そして人々の働きを誘い有意義にコントロールするシステム(補助金頼みは論外)が必要だからです。
わたしの先の問いは、こうしたことから発せられたものです。そしてこれに答えるかたちで、兵庫の「ささやまの森公園」などが紹介されていたのです。公園然とした公園ではなく、できる限り自然なおおやけの苑。そしてその森つくりには、みなんが無理なく楽しく継続的に参加できること。こんな夢の森を、わたしは心に描いたのです。
ところで「ささやまの森公園」の広さは、約255ヘクタール。作手郷でいえば、どのあたりの広さでしょうか。ゆたかな生物多様性を基準に、作手郷の或る一区画を、市民自主参加型の自然公園のようなもの(新箱物不要)にできないものだろうか。そんな空想にひたった二週間でした。
2010.7.31-8.1 引き続き猛暑、哀しい作手
先々週に引き続き、先週末もたいへんな暑さでした。この暑さの中、八月一日は恒例の作手黒瀬地区の草刈りでした。八時から十一時まで。わたしも、今年は参加することができました。作業内容は、二年前と同様。
二年前と違ったのは、わたしの体調です。はるかに衰え、庄の沢湿地では吐き気すらもよおし倒れるかと思ったほど。いまからすれば、熱射病一歩手前ではなかったかと思います。その日はとにかく熱く、午後からでも異常に熱く感じられました。
作業日の前日、土曜日。いつもゆく「道の駅」の豆腐やさん。先日は、夜の十二時まで気温三十度、眠られなかったとのこと。また夕方、山荘手前の舗装路で会った散歩中の女性、「作手も暑くなりました」。暑くなった作手が、挨拶代わりの言葉となりました。
作手の夏は涼しい、作手の夏の夜は寒いくらい。これがわずか十年くらい前まで、人々の間で交わされた言葉です。いま、そんな言葉は聞かれません。作手の里に、ある種の理想郷を求めたわたしにとっては、とても哀しいことです。
2010.8.13-15 とらえがたい色
先週末は、金曜から日曜まで、作手に二泊三日の盆休みでした。といっても、いつものように草を刈ったり木を切り倒したりで、けっこう疲れた三日間でした。
十五日の日曜には、妹と姪が、胃ろうの母をともない、山荘にやってきました。母を看るのは姪と妻にまかせ、妹を庄の沢に案内しました。ちょうどミズギクが咲き始めていたのです。最近なぜか自生の植物に興味を持ちだした妹。携帯でしきりに花の写真を撮っていましたが、湿地全体の風景は、表現できないと言っていました。
そうです。写真技術がないため、わたしたちには表現できません。あの湿地全体がかもしだす茫洋とした花群落の魅力は、写真はおろか言葉をもってしても表しがたいものです。色が複雑に混ざり合っているからです。
咲いている花を列記。ミズギクの黄色。サギソウの白。ところどころにミズギボウシの淡いむらさき。またオモダカの白。これらの花が、ヌマガヤの明るい葉むらの中で目に立ちます。しかもよく見れば、その緑の葉むらの中には、ミミカキグサの淡い紫がいっぱいに広がっています。さらにその下陰に、モウセンゴケでしょうか、はるかに小さな白い花の散らばりがあります。
湿地全体は淡いみどりに包まれていますが、淡いみどりとだけでは表現できない、実に複雑な色合いをなしています。絵画など色を専門に扱う人ならば、きっとうまく表現できるのでしょうが。……言葉で表現できないもどかしさ。
2010.9.4-5 命の木
山荘の東側の菜園に、ひときわそびえるイチョウの木があります。放射状に枝をのばし、空に向かってすっくと立っています。十五年ほど前に豊田の家の庭から移し植え、今ではわたしたちの山を象徴するほどの大きな木となっています。
山荘を訪れるさいには、おのずと目に入る位置にあり、また山荘の北側窓をとおして、葉の茂りをまぢかに見ることができます。植えた当初は、山荘の窓から見下ろしたものですが、いつの頃からか見上げるほどになりました。
このイチョウの木は、娘が生まれた時の記念樹です。記念樹として買ったのはたしかですが、苗木をいつどこで購入したのか、さだかな記憶はありません。盛岡市の八幡宮か住吉神社か、とにかく盛岡の神社の市で買いました。また娘が生まれる前なのか、後なのかの記憶もありません。
購入した時には、小さな鉢植えの丈十センチほどの苗木でした。わたしたち夫婦は、当時アパート暮らし。将来の展望などまったくありませんでした。それでも娘が生まれることは、わたしたちの心に希望をもたらしたのでしょう。記念樹を買ったのです。
なぜイチョウだったのか、それも記憶にありません。ただわたしたち夫婦ふたりして、しあわせな気分で購入した淡い記憶はあります。それから三十六年。九月六日。娘もイチョウも、三十六歳。娘の命とイチョウの命が、わたしには重なって見えます。
加奈さんのフォト、イチョウの木の下で。
2010.9.11-12 日曜の朝の素敵なプレゼント
十一日山荘泊、翌朝、豊田市しもやま地区の「農産物直売所合同イベント」に出かけました。朝の八時に山荘を出て、まず「三巴の朝市(お買い上げの方先着100名様に新鮮な野菜を1袋プレゼント)」に。妻は買い物。娘は車の中。近くの土手に、花の見頃となったツルボの群生がありました。なのに、誰も見向きもしません。自然からの花のプレゼント。わたしたちだけで楽しみました。
次ぎに向かったのは、「Natural A 産直広場(500円以上お買い上げの方に花苗プレゼント)」。途中の山道では、フシグロセンノウなど秋の草花。いつもゆく花屋さんです。娘を車からおろし、カメラのモデルに。親しくなった店員のMさんには、作手庄の沢湿地への地図をわたしました。わたしたちはいつも、陽気なMさんから元気をもらいます。
次は、時間調整のため「三河湖ふる里市場(野菜袋詰1品プレゼント)」へ。ここまで来ると、買った野菜がすでにいっぱい。ひと袋だけナスを買い、ひと袋のピーマンをプレゼントされました。妻はよろこんでいましたが、わたしにはとてもはずかしく……。
さらに十時開店の「山遊里(やまゆり)」へ。ここではジェラートがサービスされるとのことでしたが、もう野菜がいっぱいでしたので、ハムなどを買うことに。娘も店内をあちらこちら。ジェラートとアイスコーヒーを買い、椅子に腰を下ろして三人でひと休みしました。ところで、隣の椅子とテーブルで休んでいたご夫婦。花屋さん、ふる里市場でもいっしょになったお二人でした。そのほか何組かのご家族も、見かけたお顔でした。
帰りは三河湖畔を。途中、サイクリングの一団に出会いました。狭いくねくねした湖畔の道をすごいスピードで向かってきます。次から次へと。曲がり道からぱっとあらわれる時など、まるで鳥が空を切るような感じです。ひとりの人など、路傍の草むらに突っ込んでしまいました。ほんとうに次から次へと。娘もきゃあ、きゃあぁあと大喜び。次から次へと続きます。結局この一団、山道を抜けた作手の広い通りまで続きました。
日曜日の朝の素敵なプレゼント。
加奈さんフォト、いつもの花屋さんにて。
2010.9.18 お出かけ
十九日の日曜は、豊田市の環境美化の日。自宅のある地区で草刈り作業を行いました。そのため作手には前日の土曜のみ、日帰りで行ってきました。まず直売所「すずかぜ」に寄り、次に「道の駅」の豆腐屋さんへ。そして「道の駅・山家市」へ。さらに農協で買い物をし、昼前に山荘に着きました。いつものコースです。
ところでわたしたちは、ほぼ毎週作手にでかけます。こんな生活を二十年以上つづけています。わたしと妻と、娘と、いつもいっしょです。娘はもう三十六歳なのですから、ふつうの子ならば、とっくに独立して親ばなれをしています。私たち夫婦も、今とはちがった暮らし方をしているはずです。でも娘は、心身不自由の身。
実は、わたしたちと同様な生活をしている人たちは、たくさんいます。障害を持った人の場合、平日はデイサービスに通うのですが、週末はどうしても社会との関わりが希薄になります。その分、親が工夫をするわけです。
外に出られる障害者ならば、週末ごとに、親子でドライブに出かける家族もいます。また障害が比較的軽く意志表現のできる人ならば、親としては、子が好む映画やショッピングなどに連れて行くことになります。もちろん、親が直接に連れ出せないケースもあります。そんなときは、ガイドヘルパーさんに依頼します。
では重度の障害を持った人の場合は、どうでしょう。通常は、家で過ごすしかありませんが、それでも年に数度、介護の可能な家族旅行などを計画したりします。それもかなわないケースは、訪問看護を受け、本を読んでもらったり、コミュニケーションをはかったりしてもらいます。
障害のあるなしにかかわらず、人の本性は、社会とのかかわりを求めるようです。そんなわけで、毎週毎週、わたしたちは家族で「お出かけ」をするわけです。
2010.9.24-25 AOZOLA
平日、作手に用事ができ、金曜から日曜にかけて滞在しました。金曜は小雨でしたが、土曜から日曜の昼にかけては、信じられないくらいの青い空。天気が良いというだけで、楽しくなります。青い空、青空、碧空、AOZOLA……。
以下、写真数葉。
山荘のある谷山から見た、雲ひとつない青空。
千万町の茅葺屋敷にて。車で10分くらいのところです。
真ん中が加奈さん、背を向けているのがお母さん。
茅葺屋敷の前で。
コーヒーと玄米だんごをいただきました。
翌朝、山荘入り口にて、アケビの実。
入り口付近、ヌマトラノオの草もみじ。
山荘入り口に面した湿地、朝日に輝く木立。
昼、庄の沢湿地の木道にて。加奈さんポーズ。
アップ。湿げんの花群落の複雑な色合いが見えるでしょうか。
2010.10.2-3 羽布下り沢林道
土曜の午後は、サルトリイバラの葉を摘みに、羽布下り沢林道にゆきました。妻が、カシワモチをつくるというのです。妻の実家(山口)では、柏の葉の代わりにサルトリイバラの葉を用いるそうです。サルトリイバラは、もちろんわたしどもの山にもありますが、この夏の猛暑で、おおかたの葉は傷んでしまいました。
羽布下り沢林道へは、山荘から車で数分の距離。庄の沢湿地も同じくらいの距離で、どちらも手軽なわたしたち家族の散歩コースです。もっとも娘が歩いてゆくには無理がありますので、現地まで車で行き、それから散歩ということになります。
三河湖の見える峠までのぼり、そこから引き返しました。道のわきにはアケボノソウや野菊の花が咲いていました。サルトリイバラも、まるい大きな葉を見つけることができました。羽布下り沢林道は、道は新しいのですが、人や車はほとんど通りません。今のところは、とても清潔感のある散歩コースです。
2010.10.16-17 加奈さんの同級生
十六日の土曜、コズエさん家族が作手にやってきました。コズエさんとお母さん、お父さんです。瀬戸市に住んでいます。コズエさんは、娘と同級生。小牧養護学校で知り合い、もう三十年近いおつきあいになります。小学部、中学部、高等部と十二年一緒でした。
卒業後は、瀬戸市の「むぎのいえ」に、ともにお世話になりました。もっともお世話になるという表現は、父親感覚。わたしの妻もふくめ、お母さんたちは「むぎのいえ」の設立と運営にがんばりました。そんな中での子どもたちは、「なかま」と呼ばれていました。
その後、コズエさんは「よつば」のデイサービスに、娘は、豊田のデイサービスにかようことになりました。そして今では月に一度、春日井市の「春日苑」でショートステイのサービスを受けています。娘とコズエさんが一緒になるよう日にちを合わせ、同じ部屋で宿泊をしています。
十二時少し過ぎた頃、来訪。コズエさんは、以前は主に車椅子でしたが、この日はお父さんに支えられ、山荘への路を行き来しました。コーヒーを飲みながらひと休みし、その後「道の駅」に。昼食後はまた山荘に戻り、午後三時半ころ、帰路につきました。
こんなことを書きながら、ふと思ったこと。娘もコズエさんも、わたしたち親にとってはいつまでも子どもなのですが、年齢を思えば、ちょうど今の彼女らの歳のおかあさんたちが、まだ小さな彼女たちを、小牧養護に入学させたことになります。今からおよそ、三十年前のことです。
2010.10.25 ころんじゃった
二十三日の金曜日夕方、仕事から帰ると、妻が言いました。加奈さんがデイでころんでしまい、頭にけがをしたというのです。どのような状況でころんだかは、職員の方が説明をしてくれたそうです。その後変わった様子もなく、また吐き戻しもなく過ぎているとのこと。
わたしが帰宅した時には、加奈さんはいつもどおりに、風呂に入っていました。風呂からあがったあと、妻が娘の頭の髪をかき分け、その部位を示しました。左頭頂部に近い後頭部が赤く腫れています。右でなくてよかったと瞬間思いました。右側には、幼い頃、脳の手術をしたさいのポンプが入っているからです。
娘の様子は、ふだんと変わりなく見えます。結局、その後の状況を見守ることにしました。土曜、日曜、そして月曜の今日、なんの問題もなく、過ごしました。赤い腫れも収まりました。やれやれひと安心です。こんなことがあるといつも、幼い頃の脳の手術の記憶がよみがえります。
加奈さんは左半身が不随です。左つま先がせん足となっていて、年齢を重ねるごとに固まってきます。そのため最近では、左足と右足を交差させるような感じで歩きます。その結果、以前よりころびやすくなったのでしょう。せん足のリハビリ方法をネットで調べ、今後少しずつ行うことにしました。
週末の作手の山行きのさいにも、これからはリハビリをかねて、草芝の坂道を歩かせようと計画しています。それにつきあいながら、わたし自身も、弱った足腰を鍛えようかな、と考えています。
2010.11.1 雨のため家ごもり
土曜と日曜にかけては、台風14号のため雨模様。そのため作手には行きませんでした。三週間前の、豊田市自治区の秋祭りのさいにも行きませんでした。日帰りすらしなかったことは、めずらしいことです。
土曜も日曜も、家族で近くのスーパーに買い物にでかけたくらい。あとは家の中。妻はそれなりにさまざま家事をしたりしていましたが、わたしはテレビを見たり、パソコンの前でぼんやりしていたり。娘はほとんど終日、テレビの前です。
結局ごろごろしているうちに二日が過ぎてしまい、なんだかかえって疲れた感じです。やはり作手の山に行くことで、心身ともにエネルギーをもらっているような気がします。
2010.11.8 小さな花のテレジアの園
わたしたちの山には、地図上の名とは別に、呼び名があります。母が名付けたもので、娘の洗礼名をそのまま使用しています。当時、わたしにはそうした発想がまったくなかったので、ある時、その名を記した木の板が立てかけてあるのを見て、少しおどろきました。「小さな花の テレジアの園」と、書いてあったのです。
父と母にとっては孫にあたる心身不自由な娘です。娘のためにというだけの理由で、山を共同購入したわけではありませんが、わたしの両親にしてみれば、やはりそうした思いが一番強かったのでしょう。もちろん、親にしろわたしたちにしろ、それは漠然とした意識のもので、ただ単純に娘のためにと、思っていたにすぎません。
ところでこの名を、当時からですが、ふだんわたしたちが口にすることはありませんでした。長すぎますし、この呼び名のイメージと山のイメージが、どうしても合わないような気がしていたからです。母は草花を好み、山のあちこちによく植えていましたので、そのあたりはたしかに「園」となります。でも全体は、やはり山なのです。
さて、二十年近く前のその木の板は、すでに朽ち果て今はありません。また山の様相も、当時とはすっかり異なったものとなりました。木は生い茂り、松は立ち枯れ、二十年前の明るい広々とした感じは、なくなりました。それなのに、わたしの気持ちが変化したのでしょうか、今では「小さな花のテレジアの園」という名を、受け入れて良いような気がしています。不思議ですね。通称、「テレジアの森」あるいは「テレジアの谷」、とでもしましょうか。
フォト一葉、柿落ち葉の路。
2010.11.14 もみじとレクイエム
先週末から今週末にかけ、わたしどもの山はもみじの真っ盛り。樹木の種がさまざまなため、山全体を見渡すときの色合いがかなり複雑です。これには理由があります。わたしたち家族が植栽した樹木が、あちらこちらに散らばっているからです。自然の成り行きだけにまかせていれば、こうした華やかさはないと思います。
こんなもみじのさまを、どう表現したらよいだろうと思っていたら、しっくり合った音楽に出会いました。日曜の朝、わたしたち家族は、八時五分からのラジオ番組、「音楽の泉」を聴くことが日課となっています。十四日の朝は、フォーレのレクイエム。それを聴きながら小一時間、わたしは窓外のもみじのさまを眺めていました。
レクイエムといえば、わたしの場合、まずモーツァルトです。若い頃は、好んでよく聴きました。同時にフォーレのそれも好きでよく聴きましたが、モーツァルトの劇的なレクイエムに比べると、レクイエムらしくないなと思っていました。
でもいま老いて、山のもみじのさまを眺めていると、フォーレのレクイエムがとてもよく似合ってるいるような気がします。最後の華やぎの色をまとい、散り、やがて朽ちる葉。ひと冬の眠りにつくかのような樹木。そしてあらたな再生。フォーレのレクイエムは、老いを、死を、天国での再生を、しずかでやさしさにあふれた旋律で歌い上げます。
写真、山畑の刈草を焼くお母さん。
お母さんを見る加奈さん。
角度を変えて、山荘とイチョウと加奈さん。
2010.11.20-21 最後のはなやぎ
山のもみじが、今年最後のはなやぎを見せています。こんなときは、文より写真ですね。
山荘手前の舗装路をはさんで、西日を浴びるコナラもみじ。
切り倒したヤマザクラの前で、ひなたぼっこの加奈さん。
遠くのお母さんの草刈り作業を見守る、加奈さん。
坂をゆっくりと登り、もみじの路の、加奈さん。
もう一枚、もみじの路の加奈さん。
ちょっとひと休みをし、お母さんの方をふり返る加奈さん。
ふたたび、山荘手前の舗装路をはさんで、夕日を浴びるコナラもみじです。
翌朝、日を浴びる谷山。
2010.11.28 小テレジアの命と加奈さん
娘の洗礼名は、「小さき花のテレジア」。娘が六歳のときに受けた洗礼名です。娘といっしょに、妻もカトリックの洗礼を受けました。娘の洗礼名の名付け親は、わたしの短歌の師であった、カトリック信者の方です。
わたし自身は、とくにどの宗教集団に属しているわけでもなく、またカトリックについての知識もほとんどありませんでしたので、その名を聞いたとき、かわいらしい名前だな、と思い満足した程度でした。
ふたりが洗礼を受けたのは、岩手県の盛岡市。それからほどなく、わたしたちはふるさとの愛知県に戻りました。岩手には七年ほど住み、娘が生まれたのも、盛岡です。ですから、娘のふるさとは岩手県盛岡市になります。
娘も妻も、愛知に帰ってからは、しだいに特定の教会からは遠のくようになりました。でもさまざまなご縁があり、キリスト教あるいは仏教を問わず、宗教をとおしてのいろんな方との出会いがあり、有意義なおつきあいもあり、とても感謝しています。
さて、わたしが娘の洗礼名の意味を知ったのは、十年近く前、パソコンのインターネットが普及し始めた頃です。検索でテレジアという人を知ったのです。カトリック聖人にふたりのテレジアがいて、そのうちのひとり、小テレジアと呼ばれるひとりが、リジューのテレジアすなわち一般に、「小さき花のテレジア」とされる女性だったのです。
1873年生まれ、1923年没。24歳の若さで亡くなりました。それを知ったとき、わたしは初めて、洗礼名の意味をそして師の心を知りました。師は、小テレジアに娘の命を重ね合わせていたのだと、思います。当時、娘の命は、そんなに長くは生きられないと、見られていたのです。
印象深い、思い出があります。洗礼の打ち合わせか、なにかの折でした。いく人かの集まる前で、スイス人である初老の神父さまが、わたしの娘にまなざしを注ぎ、二十歳までは生きられないでしょうね、とおっしゃったのです。わたしは、その穏やかな口調に内心、びっくりしました。娘の生と死に、祝福が与えられたような、わたしはそんな気がして、ひそかに心の安らぐ思いがしたものです。
2010.12.6 冬の森へと
五日は日帰りで、ドライブがてら作手へ。まず最初に立ち寄ったのは、下山和合地区の花屋さん。次に「山遊里(やまゆり)」。三河湖畔でお茶タイム。そして作手の「すずかぜ」、さらに道の駅の豆腐屋さん、農協へとまわりました。
毎週同じようなコースですが、そのつど幸せな出会いと新たな発見があります。花屋さんでは、胃ろうの母の部屋に飾るシクラメンを買いました。こうした気配りは、妻ならではのもの。わたしはただ、心の中で感謝するばかりです。
山荘には、ちょうど昼ごろ着きました。食事をし、午後の二時には帰路につきました。その間、娘を散歩させたり、山のシキミを切りとったりしました。仏花シキミは、ほぼ隔週間隔で豊田に持ち帰ります。墓参りをするという友人にあげるためです。
さて、テレジアの森はもみじもほとんど散り、すっかり冬の風景となりました。わたしたちは、冬の景色も大好きです。日差しのありがたさを、しみじみと感ずる季節です。山の木草の手入れをする、楽しい作業に追われる季節です。
2010.12.11 冬の里山歩き
テレジアの森は、ちいさな里山でもあります。里山のふかくに入るには、冬が一番です。まむしやスズメバチの心配がないからです。木々の葉が落ち尽くした明るい山みちをあるくのは、独特の楽しさがあります。
写真をいっぱい撮りました。
山荘近くのフユノハナワラビ。
山荘近くのミツマタの蕾。
山すそのアケビの黄葉。
曇天のしたのコナラ林。
コナラ林を別の角度から。
東の山の斜面から見た、谷向こうの山荘。
中腹あたりのツチアケビ。
北の尾根近くの路。
西の山の斜面から、東の山の斜面を。
山をひとめぐりした、加奈さんのVサイン。
2010.12.18 銀河の農機具修繕センター
年末の仕事の忙しさから、作手郷へは十八日も日帰り。暗い曇天の空。冷たく吹きまくる風。冬の作手郷らしい風景でした。チェンソーの修理依頼をする予定でしたので、修繕センターに行きました。修繕センターは、作手農協の裏手にあります。
事務所に入ると、いつもの係の男性がいました。草刈り機の修理など、時々利用しますので、顔だけは知っています。エンジン式、電動式各一台の点検をお願いしました。土曜はひとりだけで仕事をしているようなので、わたしはとくに急がない旨を話し、結局年明けの八日に受け取ることになりました。
三週間後の受け取り。このゆるやかな時間の流れ。まるで上質な物語の中にでもいるようです。わたしはふと、宮沢賢治の童話の世界を思いました。係の男性も、童話の中にあらわれる実直なひとりの農夫を思わせます。とつとつとしたきまじめな語り。平凡なセンター事務所が、名作「銀河鉄道の夜」の中の、或るひとつの銀河ステーションのようにも、感じられました。
別れ際、わたしの名を告げると、はい、分かっていますよ、とはにかんだ笑顔。その係の方の名を知らないまま、わたしたち家族はすっかり、しあわせな気分になりました。暗い曇天の空も、寒々とした冬の田原も、なんだかなつかしく思われ、賢治の描いた銀河世界のように、感じられたひとときでした。
写真、三葉。
銀河ステーション? 修繕センター事務所前の加奈さん。
ふり向いたら、地区巡回バスが。
座席窓に見えたのは、おばあさんがひとりだけ。不思議な感覚でした。
センター前に広がる冬の田園風景。
かつては、東海地方最大といわれた大野原湿原が広がっていました。想念は時空を越え。
2010.12.25-26 冬の作業の始まり
二十五、二十六日の作手は、先週と同様、冷たい曇天の天気でした。こんな日には、気分がひるみますが、だからといって作手行きを止めたら、山の管理はできません。冬は草刈りなどの作業に追われるからです。
わたしたちの一年は、まずこの冬の作業から始まるといってもよいでしょう。準備を含めれば、先週のチェンソーの点検・修理依頼から始まったともいえます。冬の作業は、断続的に三月半ば頃まで続きます。その日の天気次第で、どの場所で、なにをするかを決めます。
この作業を終えると、テレジアの園と森は、とてもすっきりした感じになります。そして一年でもっとも華やかな春の季節を迎えます。それが過ぎると、今度は梅雨から夏にかけての草刈りをします。しかしこの時期には、冬場ほどの作業はしません。道端の草刈りをしたり、あるいはあまりに茂りすぎた場所に限定します。自生している草花をできる限り残すためです。そして秋が過ぎ、冬となり、それらの草花の種が地に落ちきるまで待ちます。また秋から冬にかけての木々の実を、鳥がおおよそ食べ尽くすのを待ちます。
さて二十五日は、主に山の湿地の草刈りをしました。妻と共に午後一時から五時まで作業。荒刈り程度でしたので、この次に、仕上げの草刈りをする予定です。その他、アジサイ、カツラの木の移植、山みちの草の荒刈りなどをして過ごしました。
ところで今回、わたし用に新しい長靴を買い、妻用には牛革の作業手袋を買いました。合わせて三千円弱の出費でした。
以下、写真三葉。
寒い日の加奈さんは、山荘の中でラジオを聞いたり、本をぱらぱらとめくったりして過ごします。
外が暗くなってきたので、カーテンを閉めました。
翌朝、外を歩いたら、ミヤマシキミが実をつけ始めていました。
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