交響詩 山の週末
第三部 風のスケッチ-2010
佐野喬則
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わたしの現在(後記にかえて)
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わたしの現在
思いだけは次から次へと湧くが、それをすじみち立てて記述することが困難な現在の病状である。思考力が鈍っている。以下、思いを列挙するのみ。
約二十首のひとまとまりの歌のメモを、連綿と、推敲のため読み返すこと自体が、苦痛である。詠む時も苦しかった。わたしには、オーバートレーニングであったようだ。おのれの分際をわきまえず背伸びをする。わたしの若い頃からの最大の欠点である。わたしの作品集は、あるいはこの欠点の集積ともいえる。寂しくもある。哀れでもある。
十一月の加奈さん。「光の家」に試験的に通い始めた。十一時から十四時まで。一回目は、お母さんのつき添い。二回目は、お母さんは送り迎えだけ。施設で昼ごはんを食べてくるようなもので、加奈さんは楽しんでいる。いずれは車椅子でのショートステイを目指している。
いろんな事情から、今までは、車で一時間もはなれた春日井市のコロニーまで通っていた。月に一度、二泊三日のショートステイであった。ほとんど歩けなくなった今、将来を考えて、「光の家」に通うことにした。車で十五分内の距離で、わたしたち家族が今後どうなるか分からないが、近距離だけにとにかくありがたい。
加奈さんのいまひとつのニュース。リハビリを指導してくださるかたの助言で、本格的に杖を利用するようにした。四本足の杖。考えてみれば、杖をつくことは、当然な選択肢のひとつであるのに、なぜかわたしたちはそこに思いが及ばなかった。いざ利用し始めると、それなりに役立っている。杖をつく加奈さんの傍らで見ていると、時に杖を持ち歩いている風でもあり、つい笑ってしまうが、わずかでも段差のある場所などでは、確かに杖をつき、自分なりに身体のバランスをとって足を前に出している。わたしが手を添えることもあまりなくなった。
こうした日常生活の変化はあるが、加奈さんの元気な笑い顔だけは、以前のとおり。感謝している。
加奈さんのお母さん、わたしの妻は、歳相応の身体の不調を日頃口にし、医者にも通っている。といって、日常生活に支障をきたすほどでもなく、毎日車で、加奈さんの送迎や買い物また友人とのつき合いなどで、あちらこちら走り回っている。身に沁みてありがたい。もし妻が動けなくなったら、わたしたちの家族は崩壊してしまうにちがいない。
ふつうならば、子や孫にかこまれ、古希の祝いでも受けるのであろうけれど、心身衰弱のわたし、心身不自由なひとり娘をかかえての生活。とにかく健康であってほしいと願っている。とはいえ、時に、夕方の家事に疲れ眠たげな妻の表情を見ると、この先も健康でなどと言うのは、わたしの身勝手そのものでしかない。少しでも手伝わなければと思うのであるが、この身では如何ともしがたい。
わたし自身は、病に打ち砕かれる手前をさまよっている感じ。病状の決定的な悪化はないが、いつも眩暈感と軽い吐き気、身体衰弱感と陰気な胸痛に悩まされている。兆しが現れ始めた頃から、すでに二年余が過ぎた。こんな日常を過ごしていると、時には泣きたくもなり、大げさかも知れないが、わたしの一生をすら恨みたくなる。
心の中で、いろんな声が聞こえてくる。……負けるな、負けてたまるか。これが病との闘いだ。屈するな。負け惜しみであっても、心に希望を描け、しあわせを描け。……もう疲れた。なれるものなら、楽になりたい。ふと死が誘う。病が辛いだけではない。わたしの一生自体、生きることに疲れたのだ。辛い記憶が浮かぶ。もうじゅうぶん生きた。……バカヤロウ、お前のしてきたことを思え。どれだけひとを傷つけ苦しめたか。もっと苦しめ。死ぬまで苦しめ。苦しめ、苦しめ。お前が為してきたことの報いだ。……
ヤケになり、心の中で叫ぶ。歌はごまかしだ。自分の汚いこころを見ようとしない、あるいはカモフラージュする、仮面そのものだ。真も、善も、美もない。それらしく装った虚があるだけだ。こう叫んで、時がたてば悄然とする。
病に支配された心身では、歌を詠むことに対する見方も病的にならざるを得ない。それはずいぶんと偏った見方であるにはちがいないが、しかし一面の真実であることも否めない。仮面だらけの、わたしの一生の歌。
だが冷静に考えてみれば、誠意をこめて真実に近づこうとする、あるいは模索をする、卑小な人間の努力の集積とも言える。なにか悲しく寂しい気もするが、それがわたしの歌だとも思う。わたしの歌を、そしてわたし自らを、大切にしよう。懊悩するこころで、あえてそうつぶやいてみる。創造の人生……。
思いつくままに書いたら、こんな愚痴の羅列になってしまった。十一月末に書き始め、書き終えたのが、十二月……。たったこれだけの文なのに。
十二月十三日、八時半、朝食後しばらく横になり起き上がろうとしたとたん、激しい眩暈と吐き気に襲われた。結局二日間、臥して過ごした。以来、身体不調のままに、今日二十六日となり、今は陰湿な心痛とどんよりとした眩暈感に悩まされている。
加奈さんが、杖をついても歩けない。そんな日が続いている。わたしがこんな調子だから、……支えきれない。
年明けの一月七日夕食後、ひと騒動。加奈さんが、トイレで動けなくなってしまったのだ。三日続きの便秘で力んでいた。結局、妻が浣腸を施し便は通じたものの、冷えたトイレで長く緊張していたせいか、加奈さんのせん足の左足が後部に反りきってしまい、まったく動かなくなってしまったのだ。
妻とわたしの二人がかりで支え、なんとか寝室の布団まで移動したのであるが、たったこれだけのことで、ひと騒動であった。老いて小柄な妻と、眩暈でふらふらのわたしとでは、加奈さんの身体を支えることが、ほとんど限界であった。こんな辛い騒動が、これからも何かにつけて、起きるに違いない。わたしの胸中を一瞬、思いがよぎった。家庭生活の崩壊、……気が変になりそうだ。
わたし自身は、従来の症状に加え、最近は不眠気味となり、思考力も衰え、本を読むさえ、日に十分程度が限度となってしまった。
悲しみ、苦しみを背負った人たちは、いっぱいいる。わたしたちだけの辛さに目を向けてばかりいては、いけない。とは、思うのであるが……。
一月十二日、Fさんのご主人が亡くなられた。加奈さんの友だち、ユウコちゃんのお父さん。
不安の渦の中に……(2015.2.17)。
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